第1749回 織部沓型茶碗で、夕方のアワコーヒーを楽しむ。模型公園

みなさん、こんばんは、 模型公園です。 2015年8月24日月曜日の投稿です。



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 今日の日本の模型公園の家の近くは晴天で32度のかんかん照りの

  お天気でした。

  九州の方から 台風が近づいているようで、 西の人は雨になっているようです。

  実は、先ほどまで氷枕で、 エアコンをつけて スヤスヤ昼寝をしていて、目が

  冷めたところです。




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          今日は、この織部沓形茶碗で、夕方のアワコーヒーを

         模型公園風で楽しんでみることにーーーーーー。




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         この織部焼というのは、西暦1590年前後から1615年までの

        間に、現在の岐阜県可児市周辺で焼かれていたらしいと

        伝えられています。

        織田信長の 使い番であった、 古田佐吉が、信長から領地を

        賜り、その後、 秀吉へと、 仕え、 山城国、現在の京都府

        3万石の所領を持つ小名となるのです。


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          当時、南蛮人という、 スペインや、ポルトガル人が、どんどん

          東南アジアを植民地にするため、進出してきていたそう言う

          時代でした。



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        当時、 いろんな商品と一緒に、 オリーブの油や、 オリーブの色の

        毛氈、 つまり、 オリーブ色をした じゅうたんのような布地が

        日本にもたらされたのです。


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      堺の商人から、南蛮渡来の、 オリーブ色の布地を手に入れた

      古田 佐吉は、 その独特の色合いに、 たいそう心を動かされて、

      名前も、 オーリーブ をもじって、 織部【 おりーべ】と名乗り、

      秀吉に頼み込んで、 京都の朝廷から、 織部守 という官職の

      称号を、受けるのですが、 秀吉からは、 「織部守というのは

      朝廷の布を扱う、身分の低い役職で、 他の名前にせよ、他の

      諸侯から、 笑い物になるぞ。」 と 指摘を受けたそうです。



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        この桃山時代から、江戸時代の初めの品物は、僕の心を打つ品が

         多く、 興味が尽きない時代です。


        ところで、古田 織部守が屋敷の縁側で、「 さてっ 今度はどんな

        茶碗を作ろうかーーー、世にない、独特の品を創意工夫したい。」と

        考えているときに、



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    近くに、三毛猫が、「 みゃーーーん。」 スリスリ と近づいて来たのでした。



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       ネコの顔を見て、 ネコの顔の毛の模様に気がついて、

       織部焼の 色の塗り分けでよく使われる 三毛猫 模様が

       考え出されたのです。



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          模様は、わざと物心つかぬ、童児達に、 紙と筆を与えて、

         落書きさせて、 その中から、 創意のある模様を茶碗の図柄

         にしていったのです。



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           そして、緑色は、 なんとか、南蛮風のオリープ色に近い

            そう言う色を 出すように工夫されていったのです。




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          こうして、焼物を楽しむと、 みなさん、楽しいでしょうーー。

          お茶碗の 模様にも、人知れぬ 言われと歴史があるのです。



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          今日の夕方のお茶は、 コーヒーの粉を入れ、 茶筅で混ぜた

          模型公園風の 独特のアワコーヒーです。


        
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             今日の御菓子は、 1つ52円の和菓子です。



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         苦い ブラックのコーヒーをいただいて、 すぐ甘い和菓子を

         いただきます。

         すると、  とってもよい味にーーーーー。




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          今日も、 とっても美味しい 夕方のお茶でした。




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                   じゃあ みんな またね。 



          【 明日に続く。】