第1276回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1275話 ムッソリーニ先生の逮捕の事。 2015年8月29日土曜日の投稿です。





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   昨日の投稿で 共産主義とはどのような考えで、どのような物であったのか

というお話をしたのですが、 ベニート ムッソリーニ氏や、 アドルフ ヒットラー

が唱えていた、 国家社会主義 という、 その原点の、 社会主義という意味は

何かというと、 戦後の現在、 日本人ですぐ解答が出て来る人は少ないのが

現状です。



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      共産主義が、労働者の運動という意味で、 個人の財産を制限して、

      国家、 つまり 共産党が全部の財産を集めて、富を国民全体に

      公平に分配し、 金持ちをなくし、貧乏貧困をなくすと言うのが、共産

      主義の根本的理念ですが、 社会主義というのは、 ブルジョアの運動

      の事を指します。


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      ブルジョアの運動  なにやら、ヨーグルトか、乳酸菌飲料の名前のような

      名称ですが、 その語源は、フランス語の ブルジョアジーという言葉から

      きていて、日本語に直訳すると、 中産階級、 市民階級 とでもいいますか

      市民目線での政治とでも訳すとよいかと思います。



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      共産党は、このブルジョアの運動を批判し、 ブルジョアの運動を

      資本主義者の運動として 総称し、 「 お前は、ブルジョアだ。」と

      呼ばれると、 ソビエトでは、 警察に逮捕され、裁判にかけられ、

      処刑されたり、 強制労働収容所に入れられていたようです。

      


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       ベニート ムッソリーニ先生は、 日雇いの労働が終わると、スイスで

      小さな討論会を開いては、「 諸君、 どうして我々は貧しい暮らししか

      出来ないのであろうか、 今日 仕事があっても、明日は仕事がないので



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      あろうか、 どうして、 きつい、汚い、 だれもやらないような、汚れた

      仕事ばかり、 野良犬のように捜して歩かないといけないのか、なにが

      原因なのか、 政治が悪いのか、 自分達のどこに原因があるのか。」

      と、 ドイツ語や、フランス語で 呼びかけていったのです。



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      「  どういう風に 社会革命を進めると、 みんなが まともな暮らしが

      出来る様になっていくのか、 どうしたら良いのか。」 と、両手を使って

      適度な間合いを置いて、 語りかけるような演説を行って行ったのです。



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         若干 20才前後の ムッソリーニ先生の 語りは スイスで有名となり

         多くの労働者が 集うようになり、労働者のデモ行進などを企画した

         事で、 スイス当局に 危険人物としてマークされるようになって

         いったのです。




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         共産主義者レーニンと関係が取りだたされ、 共産主義者

         別働隊と見られていたのですが、 犯罪を犯したわけで無し、

         スイスの法律になんらふれるようなことはしていなかったのですが、

         スイス政府は、 おかしな外国人を大騒ぎになる前に排除しようと、

         計画し、 ベニート ムッソリーニ先生を 逮捕し、 牢屋に入れて

         しまったのです。

         当時の当初の逮捕の罪状は、 文書の偽造罪 という、

         無理矢理、こじつけたような 罪であったのですが、その後、 



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          新たな 逮捕状が届いて、 ムッソリーニ先生の 逮捕拘束の罪状

         とは、 母国 イタリー王国 からの逮捕状であったのです。

         



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         ベニート ムッソリーニは イタリー国民の義務である 徴兵義務を

         ないがしろにし、 スイスに逃亡し、逮捕を要請すると言う物でした。

         このような事情で、 ムッソリーニ先生は、 スイス政府から、 国外

         退去追放命令を受け、 母国のイタリー王国の警察に 身柄を引き渡

         される事になっていったのです。

         スイス政府当局が イタリー王国に連絡して、 ムッソリーニ先生を

         スイスから 追放するために 絵を描いたようです。


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          この出来事から、 多くの研究家が、ムッソリーニがスイスに

         移住したのは、「 徴兵逃れの為であった 。」 と、唱える原因に

         なっているのですが、 反対の意見もあって、 その根拠は、 彼の

         その後の軍歴、活動から考えたときに、 非常に不自然であると

         言う事です。

         徴兵逃れで、逃げ歩くような人とは、考えられないと言うわけです。

         次のお話で、 そのあたりのイタリー王国軍でのムッソリーニ先生

         の勇猛な活躍などをお話ししたいと思います。


         【 明日に続く。】