第1299回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1298話 ムッソリーニの多数派工作の事。 2015年9月21日月曜日の投稿です。





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   自分が、江田島海軍兵学校に入学した年の、1921年 大正10年11月9日

   に、ベニート ムッソリーニ先生は、 ファシスト党の設立を行ったわけですが、

   一緒に、連携を約束していた、 実務家のジョヴァンニ、 ジョリティ 政権が、

   政権基盤が弱く、 わずか1年で総辞職にいたり、 政界は混沌としていった

   のです。

    日本の 高橋 是清 元首相と一緒で、実務能力には長けていたのですが、

   自ら資金をばらまいて、 配下の選挙を支援し、 多くの議員を抱えて

   派閥を運営するような人では無かったのです。



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      ジョリテイ 首相は、 配下が少ないので、 ムッソリーニ先生に連携を

      求め、 政治を動かしていこうとしたようですが、議員数が少ないので

      反対する政党が出ると、なにも決定できず、 1年間の政治の停滞が

      続くというそういう感じの状態が続いて、 イタリー王国の経済は

      どんどん悪くなっていき、 共産党勢力が ストライキなどを各地で

      計画して、 実行に移していき、 イタリー王国の国内は混乱していった

      のです。


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          ムッソリーニ先生は考えたわけです、 次の選挙までに金を

        集めて、当選するかしないかわからない候補者に、現金を配り

        選挙を行って、 その後どうなるか、 もしかすると、大幅に

        議席を減らして、 共産党が躍進しそうな世の中で、自分が

        政権を掌握するには 時間がかかりすぎると考えるように

        なって行ったのです。


        限られた、 少ないファシスト党の資金をどう有効に使用して、

        短期間の内に政権を掌握するにはどうしたら良いかーー。

         「 ホップ、ステップ、ジャンプ。」 をするにはどうしたら良いかと


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        それには、まず 軍部を味方に引き入れて、 軍事行動によって

        政権を掌握しようと考えるようになっていった様です。

        つまり、 クーデターを考えるようになっていったのですが、

        当時の イタリー王国の陸軍は、ムッソリーニ先生には、ひややか

        であったのです。


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        戦争が終わって、 世の中に放り出された、退役兵士や、下士官には

        人望があったのですが、 陸軍の将校からすると、「 軍曹 ふぜいに

        どうして、将校の尉官や、佐官が 頭を下げて協力できるか。」という 

        そういう 風潮があったのです。 

        そこで、考え出したのが、 陸軍の元帥に接近し、協力を要請し、

        その影響力を利用しようと 考えるようになっていったのです。



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                 【 ファシスト四天王の一人、 ホーノ 元帥 】


       当時 陸軍内部の将官、 佐官などの幹部クラスに パイプをもっていた

       エミーリオ デ ホーノ元帥を、 ファシスト党に招き入れ、 陸軍内部に

       くさびを打ち込むと、 他の政治勢力の議員を口説いて、多数派を形成

       しようとしていったのです。



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        ムッソリーニ先生は、鍛冶屋の息子で、 財閥のように多くの資本金で

        経済活動をして、 現金を造り、 政治資金を捻出していく システムを

        持ち合わせておらず、 教員で 3カ国語を操る、頭の良い人でしたが、

        日本の政界で言う、 地盤、看板、資金を 持ち合わせない人であった

        のです。

        スターリンや、ヒットラーは、 自分を押し上げるためにいろんな人と

        同盟を結んだのですが、 その後 用事が済むと、それらの人々を

        家族共々処刑していったのです。

        ムッソリーニ先生は そういうことをしなかった為に、政権基盤が

        弱かった、 腰から下が寄せ集めであったのが政権の分解に

        つながっていったようです。



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         独裁者になれなかった、 と言うより、ならなかった、学校の先生で

         あったのです。



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         そして、 イタリアの古くから根を張る政治勢力の反乱で政権が

         崩壊し、 共産党に逮捕され、ホーノ元帥達と一緒に処刑されて

         しまうのですが、  当時は、なんとかして多数派工作をおこなって

         短期間で、自らがローマ帝国の執政官のようになって、イタリー王国

         の世直しをしようと、考えるようになっていった様です。


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       オペラを何度も見に行って、両手を使って、 訴えるような演説方法

       で、多くの人を引きつけ、 特色のあるお話で、多くの人が注目し、

       「共産党を国外に追放しないといけない 。」 「 イタリー王国は

       教育から 改革する必要がある。」 「 国民は団結して、経済恐慌を

       立て直さないといけない。」 と言う演説は、 宗教を否定して、教会

       を破壊して、 資本主義を否定し、 国王や貴族社会をなくして、労働者

       の国を作ろうと宣伝する共産党に対して、危機感をいだいていた、

       ローマのバチカンや、 貴族、 地主、財閥から、歓迎され、

       末端の、 退役軍人の若い職のない元兵士の支持を受けていった

       のです。



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       この時期、経済恐慌で 共産主義が叫ばれ、ストライキや、暴動が発生し、

       多くの混乱が発生していくのですが、 乱れた世の中を、立て直す

       強いリーダーシップのある指導者が求められていたようです。

       当時、イギリスも、イタリアも、フランスも ドイツも、ヨーロッパの

       諸国では、 与野党議席数が拮抗していて政権が、長続きせず、

       与党が、野党になり、 野党が与党になり、 議席数が絶対多数で

       無いため、なにも決定できず、 不景気に対して、 有効な手を

       打てなかったのです。



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         ヨーロッパ各地では、 いろんな国で 共産主義の思想が広がり、

         労働者がデモ行進をして、 ストライキが多発して、 イギリスや、

         フランスでは、内閣が総辞職していったのです。

         経済の混乱に、有効に手が打てず、 失業者が増大していった

         そういう 時代でありました。


        【 明日に続く。】