第1303回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1302話 イタリー王国の首相罷免の事、 2015年9月25日金曜日の投稿です。



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   1922年 日本の大正11年の7月30日 つまり、日本の加藤友三郎

 海軍大将が内閣総理大臣になって、1ヶ月後の事ですが、イタリー王国

 【戦後のイタリアの事】の国王の ヴットリーオ エマヌエーレ国王は、

  この年の2月に就任して 半年程度しか経っていない、ルイージ ファクタ

 首相を解任する発表を、 後任を決める以前に、行ったようです。

 普通は、後任を誰にするか内定してから、人事を発表するものですが、

 そういうことを行わずに、思いつきのように 発表したところが、突発的に、

 感情的になって、首相を罷免したようです。




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    国王の立場からすると、 数年前に ロシア革命が起きて、ロシアの皇帝

  一家が、 共産党ボルシェビキ一派によって 殺害され、 対峙して戦争をして

  いた、ドイツでは、 ドイツ皇帝が 国を追われて、国外に亡命し、 オーストリー

  ハンガリー帝国では、同様に皇帝が失脚し、 オスマン トルコでも 皇帝が

  失脚して、 帝国主義という、 皇帝による統治がどんどん終演に向かっていた

  そう言う時期でありました。

    今度は、自分が イタリー王国から、追い出されるかも知れないという危機感

   が高まっていたようです。

   国王は、一刻も早く、イタリー王国の治安と、秩序を回復するには、首相を

   新しく、別人を任命して 対処すべきと判断したようですが、思った通りには

   ならなかったのです。



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      どういうことかというと、 みんなが首相になるのを辞退して、だれも

      首相になろうとしなかったのです。

       そして、 ファクタ首相を解任し、 後任が決まらない政治空白が出来て

      いき、 共産主義の暴動に火に油を注ぐ結果となっていったのです。



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        共産主義者は、共産革命の歌を歌いながらデモ行進し、 周辺の

        商店に 投石などをして、破壊行為に及び、多くの流血事件が

        発生していったのです。

        デモ行進がいけないとは言わないのですが、 何も関係のない

        商店などに、石を投げてガラスを破壊したり、 関係ない人に

        暴力を振るうという、 暴徒となっていったのです。

        このような事は、 現在の世でも 許されないことであります。



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        そこへ、 警察だけでは頼りにならんと称して、 黒シャツ隊と呼ばれる

        ファシスト党の退役軍人や、 商店を縄張りとする、ミリューと呼ばれる

        暴力団、 商店街は自分達で守らないといけないと言う、商店の店主の

        集まり、 商工会のメンバーが集結して、 路上で騒ぎとなっていった

        のです。


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        前前任の首相で実務家であった、ジョリティ 元首相も、 国王から

        首相になるよう、大命降下 があったようですか、 「 この混乱を

        納めるには、 軍隊による暴動鎮圧しかないと考えて、 そのような

        事を行って、市民を処刑すると、後々、責任問題に発展すると思い

        至り、国王の首相就任を 固辞したようです。


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       結局、 首相を解任した、国王は、 なりてが無いので、 解任した

       ファクタ首相を 再度任命するという、おかしな事を行う事となり、

       翌月の 8月は、 暑い、 混乱した 8月となっていったのです。

       このように、当時のイタリー王国の首脳が、暴動に気をとられて

       共産党に 気をとられているうちに、 ムッソリーニ先生の世直し

       計画は、隠密に進められていったのです。



       【 明日に続く。】