第1806回 伊藤 博文 元総理大臣の葬式の古写真を考察する。模型公園
みなさん、こんばんは模型公園です。 2015年9月26日 土曜日の投稿です。
今日は 土曜日、 模型公園が所有する古写真をみんなで楽しむ
コーナーです。
葬式の写真を楽しむとは、大変不謹慎なお話ですが、
珍しい写真と感じて、手に入れました。
いつも通り、二足三文です。
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この人は、昔の千円札の 顔であった、伊藤 博文 元 内閣総理大臣で
ドイツに留学して、 ドイツ風の 大日本帝国憲法を 考えて、取りまとめた
そういう人ですが、 長州 萩出身の 農家に生まれ、 足軽の家に養子に
なって、 明治維新に、 出陣して 命を張って 危ない橋を渡った人でも
あります。
もしかしたら、千円札の顔も、この写真がモデルかもしれません、
雰囲気がよく似ています。
こんなに、髭を生やして、 お味噌汁食べるときに大変だったのでは、
明治42年10月26日 ハルピンの駅で、朝鮮人に射殺されました。
今日紹介する古写真は、 明治42年11月4日の伊藤 博文公爵の
国葬の様子を写真撮影した そういう写真の紹介です。
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この写真は、 葬儀の最前列の写真で、撮影箇所は、 霊南坂 とあります。
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白い大きな のぼり と言うのですが、 随分手に持つのは大変なようで、
行列が一旦停止して、 持ち直している こう言う場面です。
この写真は、 各国の大使館からの生花の花輪のようです。
右奥には、 大礼服に身を固めた、 高級貴族がならんでいます。
国葬でも、 当時は 祭日のように、日の丸を掲揚したようです。
この写真は、左後に霊柩の御輿が見えますが、 棺の前を
生前に受勲した、勲章を入れ物に入れて、 歩いているところで
14人の 陸軍の佐官が、大礼服姿で運んでいます。
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この写真が遺体を載せる 霊柩 【れいきゅう】 という、輿【こし】と
呼ばれる物で、 白黒でわかりにくいですが、白木の木造に、角角に
黒い金具や、 真鍮の金具、 そして大勢で担いでいるので、
相当重量があるようです。
霊柩の後の行列の 白い衣冠束帯姿の人が、喪主の伊藤 博邦公
で、 その後は、 ご家族のようです。
この写真は、 喪主が通り過ぎた後、 右の日の丸が掲揚
してある門柱から、 勲一等の勲章受章者が、 隊列を組んで
葬儀の行列の後に 続いている写真です。
今日は 明治42年 11月4日 伊藤 博文 公爵の 国葬の様子
の今から107年前の古写真の紹介でした。
来週は、 また コレクションからなにか紹介する予定です。
土曜日の20時頃 画像を投稿する予定です。
21時前後に、 興味のある人は アクセスしていただけたら
と思います。
【 明日に続く。】