第1317回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1316話 建築物に夢中になったヒットラーの事、 2015年10月9日金曜日





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       右の空軍元帥 ヘルマン ゲーリングは、学力優秀で 運動神経抜群の

       空軍士官でしたが、 ヒットラーは、 父親に殴られ 蹴飛ばされながら、

       なんとか 小学校を卒業したものの、父親が13才の時に亡くなると、

       中学校に行かなくなり、2回も留年して、その後退学となり、最終学歴は

       小学校卒で、 数学、国語、フランス語、博物学など、まったく出来ず

       落ちこぼれであったというお話を前回紹介したのですが、父親が

       死んで、一家が無収入となり、家計が苦しい中、母親にせがんで、

       オーストリア ハンガリー帝国の当時のウィーンに下宿して、

       ウィーン美術アカデミーを受験したのですが、 不合格となり、


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      母親には、合格したと手紙を書いて、 母親と義理の姉に仕送りを

      続けさせ、ウィーンで生活を始めたのですが、 アドルフ ヒットラー

      心をとらえたのは、ウィーンの建築物であったのです。



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       いままで、田舎に住んでいたので、 都会に出てきて 随分驚いた

       ようで、 火がついたように建物の風景画を描き始めたのです。


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         当時の話では、 自ら歩いて写生をすることはなく、写真を手に入れて

       部屋の中で、 白黒写真を見てデッサンを描いて、自分で思い描いた

       独特の色彩をつけて、一人で満足していたそうで、 そして、 この頃から、

       ウィーンの歌劇場に行くようになったようです。

       

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         事の始まりは、 建物を見て感動し、 内部に吸い寄せられるように

         入って行き、 そこで歌劇を見物することになったようです。


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         田舎で、周囲から冷たい扱いを受け、引きこもりのヒットラーでしたが

        ウィーンの歌劇場に入ると、 開放感に心を打たれ、 音楽に合わせて

        劇団員が、 歌を歌い、 語りかける姿に美を感じたようです。


       
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        ちょうどヒットラーが17才の頃、 ステージに上がっていた、ステファニー

        という娘に恋をしたというか、 ファンになったようで、「 結婚してく

        ださい。」 と ヒットラーが手紙を書いていたとか、申し立てる研究者も

        います。



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        実は、 この歌劇場での見学の経験が、後のヒットラーの演説に

        大きな影響を与えていったのです。

        間の取り方、 語りかけの方法、 両手を使った話し方などは、

        この歌劇場の演技から勉強したと伝わっています。




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          ナチスの党大会のライトによる 光の演出は、 実は、歌劇場の

          光による演出を参考にして、発展させた物であったのです。



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         ヒットラーは、なにかにとりつかれたように、ウィーンの建物の

         写真を手に入れては、 下宿でデッサンして、 独特の構想で

         実際とは違う色の 建物の色を描いていったのですが、当時は

         だれも 評価する人はいなかったのです。


         一年後、 ヒットラーは、ウィーン美術アカデミーを再受験するの

         ですが、不合格となり、 大きく落ち込んでいくのです。

         母親や、義理の姉には、 ウィーン美術アカデミーに通っていると

         ウソを言って仕送りしてもらっている関係で、絶対、合格する

         必要があったのですが不合格という、壁が立ちはだかったのです。



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         アドルフ ヒットラーという人は、愛犬家で、 犬を描く事は出来た

         のですが、 どういうわけか、 人間の顔が描けなかったというか

         嫌いで、 描こうとしなかったのです。


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         ウィーン美術アカデミーの入学試験には、 人物画の描く試験が

         あったそうで、 ヒットラーは、「 人の顔などーー。」と言って、

         描かないので、 不合格になったようです。

         もし、 犬の顔の絵を描く試験であったら、 合格していたかも

         知れませんが、 自分の嫌いなことは一切やらないという性格の

         ヒットラーは、 入学していても続かなかったでしょう。



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          母親のクララは、 仕送りをしていたものの、うすうす ヒットラー

          ウソをついているのは、 感じていたようです。

          中学校を2度も留年して 退学処分になった子が、 絵の学校

          とは言え続くわけがないと、思っていたようです。


         【 明日に続く。 】