第1325回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1324話 ヒットラーの徴兵検査の謎の事。2015年10月17日土曜日の投稿です。
1914年 大正4年というのは、昨年の年末から 年始にかけて、日本の
政界というのは、汚職スキャンダルに揺れ動いた、 そういう1月でした。
【 当時の 松本 和 呉鎮守府司令長官 】
大正3年の12月の年末に、 イギリスのヴイッカース社から 三井物産が
で、新聞に書きたたかれて、軍法会議に発展するのですが、 翌年の1月には、
捜査から、またまた海軍の現役の将官が金銭を受け取っていたという事件が
新聞に報道されることになっていったのです。
名前が出てきたのが、 藤井 光五郎 海軍機関少将と、沢崎 寛猛
海軍大佐 他 数名でした。
当時、海軍の山本内閣は、陸軍の現役の軍人が 自分の意見が通らない
からと言う理由で、 内閣の行いにことごとく反旗を翻し、 挙げ句の果て
総辞職に追い込んだという事件から、陸軍の権力に制限をかけようと
していたのですが、それに反対する陸軍の 山縣 一派と、 自ら総理の
椅子を望んでいた、大隈 重信の一派が連んで、 海軍の内閣に対して
揺さぶりをかけていたのです。
そして、海軍の山本 権兵衛 内閣は総辞職に追い込まれていくのです。
帝国の刑務所で年を越した アドルフ ヒットラーは、 自ら貧困を訴え
徴兵検査を受けたようですが、 不合格となり、 もともと 徴兵検査
通知書も受け取っておらず、 徴兵検査を知っていて逃亡したとは
言い難いと言う事になり、 釈放されることになった様です。
ここが、現在も多くの謎の残る部分で、多くの人が研究する部分
ですが、 どうしてヒットラーが 徴兵検査で不合格になったのか
と言う事はよくわからないのです。
一説には、 視力が弱かったのではとかーー。
または、 当時、飲まず食わずの数年間で、体がやせ衰えていて
不合格になったとか、親戚のおばさんに手紙を書いて、保釈金を
積んでもらって 釈放されたとか、いろんな推測がされています。
処刑して、 オーストリアを ドイツに併合していくのですが、
ドイツが1番に手をつけた事と言うのは、官公庁の書類を差し押
さえてしまったのです。
つまり、 役所の書類、戸籍などを押さえてしまい、 ナチスに
不都合な人を探しだし、 逮捕して処刑していったのです。
組織も含まれていたようです。
その数は、約7万人と言われています。
その時に、ヒットラーの都合の悪い過去の記録も処分されたようで、
どのような経緯で徴兵検査が不合格となって、 釈放されたのかという
事については、 不透明な部分です。
当時、ヒットラーという人は、24才で、 路上生活者のルンペンの
ような立場だったのですが、 どうやって独裁者になって、
それも、よその国のドイツに入り込んで、 ドイツを征服していった
のかーーーー、この部分が、多くの人が疑問に感じて、研究する
部分です。
時代は違うにしても、 模倣すれば、 同じような事が出来るかも
知れません。
【 明日に続く。】