第1327回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1326話 ヒットラーのおばさんの事。 2015年10月19日月曜日の投稿です。
アドルフ ヒットラーが、寒い冬の牢獄から釈放されて、3ヶ月半程度
すると、日本の政界は、海軍と 反陸軍派が追い落とされ、陸軍の
山縣有朋 公の支配する政界になっていくのです。
山縣 有朋 と言う人は、自分を通さない話には ことごとく横やりを入れて
混ぜくり回し、 自分に話が来た物については、多額の金銭を要求する
というそういう人でありました。
長州閥の陸軍と、官僚、議員が御輿を担いだのが、 大隈 重信という
維新の元老ではありましたが、政治基盤の弱い人でありました。
大隈 総理は、 山縣 有朋公の指示通り、政治をしていくことになる
ですが、 大正3年4月16日からの この内閣を第2次大隈内閣と呼びます。
当時 日本陸軍では、2個師団を増設するという事をしきりに唱えて
いくのです。
この当時、ヒットラーはなにをしていたかというと、25歳となり、
無収入に近い状態で、生活に困窮していたようです。
しきりに親戚縁者に手紙を書いて、 金銭の援助を求めていた
ようです。
異母姉とは、 両親の遺産訴訟で裁判沙汰となりもめていたので
相手にされず、 ヒットラーの母親の姉妹の ヨハンナという伯母
送金して恵んでくれていたようです。
だんだん、お金にならない絵を描くだけの 仕事をしない ヒットラー
は、手持ちの資金を浪費するだけで、 増やすことを考えなかった
というか、増やす手段を持ち合わせていなかったようで、極貧の
生活に陥っていったようです。
「 おぃ、 アドルフ、いつになったら 家賃を払ってくれるのかね、
払わないのなら、ここから出ていってくれ。」 と言われるように
なった頃、 遠くはなれたところで、多くの人の人生を変える
ことになった、 大きな事件が発生していくのです。
【 明日に続く。】