第1332回 昭和の伝道師 【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1331話 第1次世界大戦の様相の事。 2015年10月24日土曜日の投稿です。




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     アドルフ ヒットラーが25才になって3ヶ月後、生活費に困って、軍隊に

     志願し、外人部隊に入隊したのですが、 当時、入隊してからすぐには

     前線に行く事はなかったのです。

     つまり、初年兵教育というのがあって、 基本動作や、軍隊内の規則、

     つまり、軍規 【ぐんき】 というのをたたき込まれたのです。

     軍隊という所は、抗命罪【こうめいざい】と言うのがあって、極端なお話

     ですが、 目の前に、幼児がいたとします。

     上役の 上官から、 「幼児にガソリンをかけて、生きたまま火をつけて、

     殺せ。」と、命令されると、 実行しないと どうなるかというと、 例えば、

     「 そんな 人殺しが出来るか。」 などど 抵抗すると、 軍法会議

     審議の後、軍隊の部隊内の統率を乱したと言う事で 銃殺刑に処せら

     れて、自分が命を失うことになっていくのです。



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      このような事情で、 日本でも226事件というのが起きたのですが、 

    兵士は、将校が命令すると、 総理大臣や、大臣でも、 命令を受けると

    発砲して 殺さないと、 今度は自分が銃殺刑になるので、仕方が無く

    引き金を引くという事になっていくのです。

    いままで、娑婆で、きままに絵を描いて 好きな事だけやって暮らしていた

    ヒットラーには、 単独行動は許されず、 士官の命令の下、 全員で

    協調して1つの事を行って行くという事が、 ヒットラーには出来なかった

    ようです。


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      そうすると、部隊内でそういうことを言うとどうなるかというと、殴る蹴る

      の制裁を受けたようです。

      上官から、こう言う制裁を受けると、 今度は周囲の兵士からも軽く見

      られて、いろいろ平手打ちや、 嫌がらせをされたようです。

      1度、軍隊に入隊すると、 学校のように、すく゜休んで、行かないとか

      そういうずる休みなどは出来ません、 ここで、ずいぶん 苦労したよう

      です。


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        戦後、ヒットラーを研究している人達の学説で、 この時に、 一緒の

        部隊にいた複数のユダヤ人の上官や、兵士に、ヒトラーが暴行され

        たり、 やられるのを見て、 周囲のユダヤ人兵士が、ヒットラー

        軽く見て 誹謗 中傷したりしたという、 そういう研究もあって、

        母国、 オーストリア ハンガリー帝国時代の 高利貸しのユダヤ人や

        その連中に雇われて、 返済が出来なくなった人に、暴力を加えて

        利息を取り立てる ユダヤ人暴力取り立組織などに続いて、ずいぶん

        ひどい目にあって、 ユダヤ人が とことん嫌いになっていった様です。




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     そんなヒットラーが後方の兵舎で新兵教育で大変な思いをしていた頃、

     いよいよ、前線では戦争が始まったのです。

     ドイツ軍に参加した、バイエルン王国の軍隊は、海岸線からフランスを

     攻撃するために、 中立国であったベルギーに侵攻し、カレー海岸方面

     から兵力を動かし、 ドイツは200万人近い兵力を二手に分けて、東の

     ロシア戦線、西のフランス戦線に、兵力を展開して戦争を開始したのです。

     フランスというのは、当時は受け身で、 ドイツが攻めてきたというのが

     真相のようです。



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         当時のヨーロッパ諸国の陸上戦における戦術というのは、ナポレオン

        の時代と そう変化はなく、 大砲を据えて、 相手の陣地に打ち込んで

        制圧射撃を行い、 騎兵による突撃、 相手陣地の蹂躙、 歩兵による

        突撃、 武力制圧、 占領というのが、 当時のパターンでありました。


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          当然、相手も砲兵隊を据えて、 味方陣地を砲撃してくるわけで、

          砲弾の着弾の中を、 ラッパを鳴らして 潔く 馬で突撃して行くと言う

          のが、 中世の騎士の伝統を守った、戦い方であったのです。


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        大ドイツ帝国軍 傘下の バイエルン王国の騎馬部隊も、伝統に則って

        騎士道を貫いて、 突撃していったのですが、 馬もろとも皆殺しにあい

        全滅していったのです。



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        それらを全滅させていったのは、 旧式ですが 水冷式のマシンガン

        であったのです。

        イギリスの記録には、 ヴィッカースの水冷マシンガン 3丁で、

         アフリカのボーア戦争で、 5千人近い槍を持って突撃してくる

         兵士を全滅させたという記録もあって、 これらの兵器が、

         古い 中世の騎士道を尊び、 突撃してくる騎兵隊や、兵士を

         全滅させていったのです。


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         そして、 多くの部隊が全滅に近い損害を受けて、 後方で

         新兵教育を受けていた、ヒットラーの所属する ひよっこ部隊に

         前線に出動命令が出る事になっていったようです。


       【 明日に続く。 】