第1389回 昭和の伝道師【戦中戦後のパイロットの物語】

第1388話 ヒットラー国家社会主義論の事。

                        2015年12月21日月曜日の投稿です。






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    アドルフヒットラーと言う人は、 小学校もろくろく行かず、中学校も不登校で、

  2度も、 違う学校から退学処分を受けた、学歴のない人で、勉強はまったく

  ダメな人でした。

  部屋にこもって、一人で遊んでいたので、運動も、運動音痴だったようで、 

  出来の悪い人でしたが、 唯一の才能は口が達者であったようです。



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    しかしながら、 引きこもりの生活を子供の頃から続けていたので、

   人の立場を考える事が下手であった、 つまり、自分勝手な人間となっていき

   外人部隊の軍隊の中で、食糧を取り合いしたり、物資を取り合いしたりする

   間に、ずるがしこい性格に変化していったようです。



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          【  ヒットラーの右の黒ネクタイが、ヘス副総統 】


   同じ時期に ドイツ国籍だったこともあるのですが、 後のナチスの副総統

   ルドルフ ヘス が、一兵卒から、少尉まで昇進したのと違い、 ヒットラー

   は、伍長止まりであったのです。

   そういう ヒットラーが、 1919年9月初旬、 ドイツ労働者党の党首

   アイトン ドレクスラーの演説の後、行った演説というのは、どうしたら

   経済不況まっただ中のドイツ全体が、 元の状態に戻れるのかという

   お話であったのです。



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    国語も、算数も、英語も、フランス語も、化学も、音楽も 何も勉強していない

    ヒットラーが自転車に乗って、 伝令兵として、使い走りをしていた伍長に

    人々を感心させる難しい政策の考えなど浮かぶわけがありません。



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           【 後のナチスの経済次官 ゴットフリート フェーダー】


 ヒットラーは、 兵舎で聞いた フェーダー先生のお話の、「利息の束縛の破棄。」

 と言うお話をみんなに ゆっくりと語ったようです。




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 どのようなお話かというと、わかりやすく言うと、 当時、ユダヤ人金融家がドイツの

 金融界に幅広い力を持っていて、 ドイツ人にお金を貸すにあたり、多大な担保を

 要求し、返済が滞ると、 ユダヤ暴力組織が取り立てに来て、ドイツ人の身ぐるみ

 を剥いで、 どんと゜ん資本を増やして肥え太っていたのです。


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    フェーダー先生の理論というのは、まず ユダヤ人を国外に追放し、彼等の

   全財産を没収し、 国庫に入れた上で、民間の銀行、ヤミ金融を禁止し、国家

   が国営銀行を作って、 ドイツ人の事業のために、利息無しで、元金のみを

   融資すると言うお話であったのです。


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       実際、この政策は、ヒットラーが政権の座につくと 実行され、大きな

      経済効果を上げて、 ドイツの奇跡とも呼ばれる事になっていくのです。


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      つまり、国家が、長期的展望に立って、 経済計画を立てて、それに元図

    いて、国家が、民間企業を統制し、つまり、民間企業は、勝手な事は出来なく

    なるのですが、 国が資本の後楯をして、 どんどん生産を奨励し、国の

    力で、生産した商品を消費していくよう、国が国策として、販売を行って

    いったのです。


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    企業は、 ヒットラーの政策で、 利息を払うこともなく、 資金の心配もせず、

    国営銀行からどんどん融資を受け、 物を作っていき、出来た製品は、政府

    が国営販売して、 さばいてくれるので 随分楽であったのですが、 自由が

    無くなって行ったのです。

    どういうことかというと、 好きな 独特な製品が作れなくなっていったのです。

    ヒットラーからすると、 違う車種の車を生産するには、違うラインが必要となり

    部品や、 いろんなコストがかかるわけです。

    そのような事やめて、 一車種のみにして、 どこの会社も政府の指定する

    車や トラックを生産するよう統制を行っていったのです。

    そうすることで、 労働者も、計画的にナチスが、労働者を派遣し失業者

    を無くしていくよう、国家が労働者の雇用を推進していったのです。

    結果、 失業率は低くなっていったのです。



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     ドイツでは、 そのような事情で、同じ形の車が多くなっていったのですが、

     反面、大きくコストがダウンして、 低価格で、ナチスが車の販売をして

     いったのです。



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   その結果、どうなったかというと、 ドイツの平均的な家庭に1台ずつ、車が

  持てるようになり、休日には一家でドライブが楽しめる様な、そう言う状態に

  社会生活が改善されていったのです。

  同じ時期、失業にあえぐ、フランスやイギリスの市民の生活とは、ずいぶん

  よい生活が出来る様になっていったのです。


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   このような訳で、ドイツ人は、みんな 老若男女 ヒットラーを称賛し、ナチス

   支持するようになっていったのです。





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   その反面、ユダヤ人や、敵対人種とされた 罪もない人は、裸にされて

   収容所に入れられて、殺されていき、 財産は ナチスに没収されていったの

   です。

   そして、 ヒットラーの指定する以外の製品を作ろうとする人は、 国家反逆者

   として、逮捕され、 ユダヤ人と一緒に 殺されていったのです。

   しかし多くのドイツ人は、町の中の悪の巣とかした、 不良外国人を

   ヒットラーが掃除して、国外に追い払い、ドイツの町をドイツ人で取り戻し、

   ドイツに秩序と平和が戻って来ると考えて、 支持していったのです。

  

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      ヒットラーのお話とは、当時、王制であったドイツでは、 国家が経済を

      統制して、経済を国家が引っ張っていくという政策は、 ドイツの人には、

      目新しい考えであり、 共産主義者が、共産革命を起こして、共産主義者

      に家屋敷や財産を奪われるより、 こちらの方が、話を聞くと、良さそうだと

      感じる人も多かったようです。 



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      ヒットラーは、フェーダー先生の話を 当時自分が考えたことのように、 

      みんなに語ったようです。

      そして話を聞いた人々は、 ヒットラーに拍手喝采をしたのでした。


      【明日に続く。】