第1393回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1392話 ヒットラー野望の事。 2015年12月26日 土曜日の投稿です。






イメージ 1



   アドルフヒットラー と言う人は、 一生懸命絵を描いて、足を棒にして

   売って歩いても、二足三文にしかならず、極貧の生活を経験したわけですが、

   ふと、 気がついてみると、 ミュンヘンの町で、自分が話をすると、お金になる

   と言う事に気がついたのです。


イメージ 2




     故郷の、リッツや、ウィーンの歌劇場で、 女のお姉さんを追いかけて、

    彼女が出演する、オペラをハシゴしていたのですが、 ヒットラー自身が

    出演するような感じでの 演説会がほぼ毎夜行われたのです。

    ある意味、 人々からの拍手で、よい気分になっていた様です。




イメージ 3
   


       ヒットラーは、 オペラのように 踊りはしませんでしたが、 オペラを

       参考に、 間合いを取って、両手でゼスチャーを交えて 演説する

       方法というのは、オペラの語りを参考にしていたと言われています。



イメージ 4



       この当時、ヒットラーは30才でしたが、 「 そうだ、ワシには

       こういう演説の才能があるのだ。」 と、 自覚したようです。

       そして、もう一つ 大きな才能があったのです。

       もう一つというのは、 権力を得るためにどうしたら良いかと言う事を

       考えて 実行していく才能でありました。


イメージ 5



      当時、ヒットラーは、ドイツ労働者党の 最後に入党した平党員で、

      なにも、権限はなかったのです。

      つまり、立場が弱かったのですが、 これを ヒットラーがこの党を

      支配しようとした場合、 どうしたら良いかと言う事を考えるように

      なっていったのです。

     
イメージ 6



       手っ取り早い方法は、 ヒットラーが どんどんヒットラーを支持する党員

       を多数、入党させ、 党費を集めると、 次第に 党内での発言権が

       増すと考えたようです。

       ヒットラーは、 当時50人程度の ドイツ労働者党を、10倍にする

       計画を立て、 密かに実行していったのですが、どういうことをやって

       いったのか、ここが、多くの政治家や、ヒットラーを研究する人達の

       注目する所です。



イメージ 7



     当時、 ドイツ労働者党の人は、ヒットラーを手伝うことはせず、ヒットラー

    は、 ドレクスラーとだけ話をして、 党員を集めていったようですが、


イメージ 8



    紙幣の価値が無くなり、 紙幣は紙くずになり、 世の中は経済恐慌の

    まっただ中、 寂しい財布の中から、毎月 党費を出して、入党する人は

    少なかったようですが、彼の方法は、独特な方法であったのです。


     【明日に続く。】