第1417回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】

第1416話 ナチスの初期の広報活動の事。 2016年1月19日火曜日の投稿です。





  
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   アドルフ ヒットラーが32才で、 国家社会主義 ドイツ労働者党を乗っ取ると、

 今度は、何をやっていったかというと、 党の拡大、宣伝であったのです。

 党の拡大とは、 党員を増やして、 党員が増えると、党費が入り、政治資金が

 豊かになって行くわけです。

 党員を増やすには、 1にも、2にも、 党と、ヒットラーの宣伝を行うのが良いと

 考えたようです。


    どこの国の選挙でもそうですが、 選挙に強い政治家というのは、世の中の

   争点を作っていくというか、人々が関心を寄せる 問題定義を訴えて、票を

   獲得するのが 上手な訳です。


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ヒットラーと言う人は、 毎日新聞を読んでは、 みんなに話して、注目を受ける

そういう、 話のネタを考えて、演説するのが上手な人でした。

引きこもりの少年で、小学校もろくに行かず、 中学校は不登校で、2度も退学処分

と言う学歴でしたが、 こう言う方面は才能があり、本人も努力したそうです。



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そして、 当時、さかんに注目を受ける 話の種が、 不良外国人問題、フランスの

ルール地方への侵略問題、 ドイツの経済をどう立て直していくかという問題、

ポーランド人を中心とした 共産主義者への問題であったのです。



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    ヒットラーと言う人は、宣伝ポスターという物も多用した人でした。

  自らが 絵が好きだったので、 自分でデザインをしたり、敗色に色々注文を

  細かく出したようです。


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   そして、ヒットラーと言う人は ご婦人に人気が上がっていったのです。

  とういう事が原因でこうなっていったかというのは、順番に紹介して行くつもり

  ですが、研究家によると、 ヒットラーが独身であったからと言う人もいますが

  実は、そうではなく、 ヒットラーが、「 ドイツの婦人が 安心して 町を買い物で

  きるよう、 ろくでなし共を追い払い、 不良外国人を国外に追放すべきだ。」と

  いろんな場所で演説したり、 宣伝していたからでした。

 
  当時は、 婦人達が安心して 外を歩けない程度、 治安が悪かったのです。



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   ヒットラーは、 自分の足元の町、 ミュンヘンから、選挙組織の構築をどんどん

 進めていったのです。

 近所同士、 周辺に 分隊という 5人から、10人程度の党員のグループを作り、

 連絡網を整備すると、 回覧板のような、 広報誌を配布して、党の情報を流し、

 この分隊の中の 一軒の家が、ユダヤ人などの不良外国人に嫌がらせを受けたり

 すると、 この分隊の党員が、まずその家に真っ先に駆けつけて、応援し、伝令が

 分隊の上の 小隊本部に報告すると、 小隊本部から、伝令が出発し、 周囲の

 別の分隊に連絡して、 動員をかけて、 あっという間にナチスの党員の部隊が

 編成できる仕組みになっていたのです。



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   これらの組織は、 選挙の時も、フル稼動し、 票集めに非常に有効であった

  のです。

  ヒットラーは、これらの活動で、 「ドイツ人一家が、ユダヤ暴力組織から

  攻撃を受け、 ナチスの党員が 駆けつけて、ドイツ人一家の窮地を救った。」

  と言う見出して、 党の広報誌で、「 ○○党員 大活躍。」 などと、大きく書いて

  党の活動の成果として、 大きく宣伝していったのです。



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 このような、国家社会主義ドイツ労働者党の機関誌を読んだ、一般のドイツ人は、

 自らの一家の安全を考えて、 ナチスの機関誌を購読したり、党員になって、

身の安全を守るようになって行ったのです。

 そして、 不良外国人グループも、 ナチスの党員の家や、 ドイツ人にいちゃ

 もんをつけて、 言い争いなどをすると、すぐに、ナチスの党員が大挙して

押しかけてきて、袋だたきに遭うので、 手を出さなくなっていったのです。



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     初期のナチスの機関誌の編集長は、ヘルマン エッサーという人で、

    この人は、 ヒットラーに次いで、演説上手な人でしたが、 自らの演説や、

    過激な 外国人への報復活動などの武勇伝を 機関誌に書いて、党員に配り、

    それを読んだ、 若いドイツの青少年が、 「我れも続け。」と、徒党を組んで

    外国人を襲撃するようになって行ったのです。



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     これらの人達は、 ナチスの旗を掲げ、 太鼓の音で、列を作って行進し、

    軍隊のように隊列を組んで、「 ドイツの土地を外国人から守らないといけ

    ない、ここは、我々の先祖伝来の土地である。」 と叫んで、 各地で、暴力

    事件を起こしていったのです。


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    そして、これらの事件は、またまた 党の機関誌の1面を飾り、英雄扱いの

    文章で゛紹介され、 これらの行動が美化されていったのです。

    当初 500部程度の 週1回の 配布であった、党の機関誌は、 あっという

    間に2万5千部の発行数となり、 多くの購読料が、ヒットラーの党に転がり

    込んできたのです。


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  このような顛末で、 ヒットラーと言う人は、軍隊の組織を 党組織に採用し、

  軍隊の命令伝達、行動、 規律の維持などの規則なども、そのままコピーして

  自らの 選挙や 党活動に利用していったのです。

  そして、 自らがデザイン監修した、ポスターを色んな所に設置して、 入党者を

  勧誘し、党の機関誌の購読を宣伝していったのです。

  その機関誌を見ていた人達は、 ヒットラーの宣伝に載せられて、みんな、

  ヒットラーを支持するようになって行ったのです。



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     当時、ヒットラーの演説を聞いて、入党した、ドイツ空軍の元大尉、ヘルマン

    ゲーリングは、「 この人は、いずれ 世界を1つにまとめるに違いない。」と

    当時、確信したそうで、 多くの人が、 ナチスの宣伝工作で、 引き込まれて

    行ったようです。


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    これらの、選挙組織を模倣して、現代社会に生かすと、強固な選挙地盤が

    作れそうですか、 ヒットラーのマネが出来るか、 なかなか難しい事です。


   【 明日に続く。 】