第1481回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1480話 大正12年年末の世相の事。 2016年3月22日火曜日の投稿です。
大正時代、 鹿児島県の桜島が大噴火を起こし、 溶岩が駈け降りて、
35名程度の人が 行方不明となり、 鹿児島市 周辺が昼間、夜のように
なり、人々は逃げ惑うそんな災害の後、 上原 勇作元帥達の陸軍参謀本部
が進めるシベリア征服の物資集めで、小樽、舞鶴などの港に、陸軍が高値で
食糧物資などを集めた結果、 国内で、物資が高騰し、買いだめ、売り惜しみが
横行し、 日本国内の経済は 大正の米一揆などと呼ばれる打ち壊しが相次い
だのです。
そんな 混乱する中、 日本の財政は戦費がかさんで、借金だらけとなり、
中岡なる人物に 刺し殺され、それを引き継いだ、高橋是清 大蔵大臣は
ばかりであったのです。
海軍大将は、命を張って、陸軍の反対を押し切って、 シベリア撤退、軍縮を
進めていく途中で、ロウソクが消える様に病死され、
関東地方は、大変な 死者と被害が発生したのは、みなさんにお話しした
とおりです。
このような混乱した世の中で、大正天皇はどうされていたかというと、
痴呆が進んで、自らが誰かわからなくなると言う病気にかかられ、静岡県
【後の昭和天皇】が、摂政として職務を代行されていたのです。
皇居は、地震で大きな被害を出し、 多くの人が家を失い、路上生活となり
これらの国難をどう収拾するか、 暴走する陸軍の軍人を押さえながら
どう日本を復興に向けて動かしていくのか、 元老 西園寺 公望 公爵が
出した結論というのは、 陸軍を何とか動かして、挙党一致で国難に対処
するには、海軍の実力者 山本 権兵衛 伯爵を 内閣総理大臣に担いで、
関東大震災に対処するしかないという結論であったのです。
財部 彪 【 たからべ たけし】 海軍大将を据えて、足元を固めると、
あった 陸軍の長州閥の実力者 田中 義一 陸軍大将を据えて、
ここを窓口に、陸軍を懐柔して 言うとおりに動かそうとしたのです。
東京に出てきて、被災民の救助活動などを指揮することになった
田中 義一 陸軍大将が、 呼び寄せたのが、姫路第10師団の
宇垣 一成 陸軍中将で、 陸軍次官のポストに就任し、 彼が
辣腕を振るい始めたのです。
そこで発生したのが、甘糟事件などの陸軍憲兵隊の暴走行為で、多くの
社会活動家や、陸軍が危険人物とマークしていた人達を、 戒厳令を利用
して処刑していったことが、大杉栄事件を契機に世間に露見したのです。
これらに関与したり、関係があると考えられる軍人は、 田中 義一陸軍大臣に
停職にされたり、謹慎させられたり、 職からおわれることになったのですが、
これらの軍人が、 駆け込んだのが、 後の 皇道派 呼ばれることになる
上原 勇作 陸軍元帥の陸軍参謀本部の派閥であったのです。
関東地方は、 迫り来る寒波と正月を前に、なんとか、住む場所だけ
でもと言う事で、関係機関が活動している中、発生したのが、 虎ノ門
事件と呼ばれる、 皇太子殿下 狙撃事件であったのです。
この事件、ずいぶん謎が多く、 山本 権兵衛 内閣総理大臣、田中 義一
陸軍大臣など、 震災復興で汗をかいていた人達が、風呂敷にくるまれて
海に捨てられる結果となるのですが、 次回はそのあたりのお話を紹介
したいと思います。
【 明日に続く。】