第1484回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1483話 年末の内閣総辞職の事。 2016年3月25日金曜日の投稿です。






    
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          【 当時の内閣総理大臣 山本権兵衛 海軍大将 】


  1923年 大正12年 12月 29日  当時、 皇居に急遽参内した、山本総理

  は、 東宮 摂政 裕仁殿下に警備の 不行き届きを陳謝し、 内閣総理大臣

  辞職することを 奏上したのだそうです。



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          【 当時の 東宮 摂政 裕仁殿下 後の昭和天皇  】


   当時、 これらの出来事を知ったのは、一般庶民は 年が変わってからで

   あったのです。

   後に伝え聞いた所では、東宮 裕仁殿下は、「 なぜ、そちが 辞任しなけれ

   ばならないのか、 今は、国難の最中である。」 と、 お言葉を述べられ、

   内閣総辞職に反対されたそうです。 


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   これらの「 山本内閣総辞職。」のニュースが政界に流れると、次の内閣総理

   大臣は誰に大命降下があるのかと言う事が、重大な関心事になって行った

   のです。

   基本的には、 衆議院の最大会派、与党の政友会から 内閣総理大臣

   選出するのがよかったのでしょうが、 政友会の中の3派が争い事が絶えず

   帝国議会は又空転して、何も決まらないであろうし、 暴走する陸軍をどう

   コントロールしていくのか、 それと平行して、関東大震災の被災者支援、

   経済の混乱をどう立て直していくのかと言う事が、次の内閣の重大な課題で

   あったのです。


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     当時、野党の憲政会は、140名程度の政党で、第1党ではなかったので、

     どこかと連立を組んで、党首の加藤議員が、内閣を組織するには、手駒が

     少なかったのです。



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     そこで、摂政裕仁殿下が、 誰を内閣総理大臣に指名するか、相談したの

    が、 当時のキングメーカーで、公家出身の 西園寺 公望 公爵であったの

    です。



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  シベリア出兵で 財政破綻し、 関東大震災で大きな被害が発生し、 経済

がガタガタになった 大日本帝国を、 陸軍と、海軍と、官僚を上手に調整して

政治を進めていける人物は、誰がよいか、 ボールは、 東宮 摂政 裕仁殿下

から、 元内閣内閣総理大臣 西園寺 公望 公爵に投げられたのです。



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 大正12年の年末、 残念な事に、 山縣 有朋公、 伊藤 博文公は既に他界

され、 日本の政界には、確固たる権力を持った人がいなかったのです。

誰が総理大臣になっても、 誰かが足を引っ張り、 帝国議会では、何も決まら

ない、つまり、議案を提出しても、議決が出来ない状態であったのです。

 

   【 明日に続く。】