第1478回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1477話 議会制民主主義の欠陥の事。 2016年3月28日月曜日の投稿です。







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  イタリー王国【 現在のイタリアの事】のフランス語教師、ムッソリーニ先生の

 始めた ファシズムというのは、 憲法や、議会を否定し、1人の政治家が、責任

 を持って、物事を迅速に進めていくという 政治手法でありました。

 つまり、 独裁政治の原点であったのですが、 彼の場合は、初期は、私腹を

 肥やすようなことはせず、 あくまでも、教育改革や、経済の立て直しに奔走し、

 子供を労働から解放し、 日本の暴力団に該当する、ミリューと対決し、追い払い、

 国民の生活の為に尽くしていたのです。


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 ドイツのヒットラーも、ムッソリーニ先生の模倣をして、 ドイツ経済を立て直し、

 ナチスの奇跡と呼ばれる程度、経済発展を遂げる 政治的成功を収めていく



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 事になるのですが、 反面、 イギリス、アメリカ フランス 日本などの議会

 を中心とした政治というのは、迅速に物事が決定できず、経済対策は後手

 後手にまわり、フランスなどでは、法案事に、金銭が動いて、政党が分裂した

 り、 結合したりを繰り返し、 結局何も決定できず、 失業者が増えていった

 のです。



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   我国の大日本帝国はどうであったかと言うと、 原 敬 内閣総理大臣が、

東京駅で暗殺されたその後から、 衆議院では過半数を維持している政党の

与党 政友会が、事実上 3派に分裂していて、その周辺に、 いろんな野党が

いるという状態で、 帝国議会でなにも決定できない、空転国会が続いて、

次の髙橋 是清 内閣は、政権が続かず、総辞職に至り、 さらにややこしい事に、



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   衆議院で法案が通過しても、 貴族院という 特権階級の議会が上にあって、

   さらに、 これに、 中央省庁の官僚と、 陸軍大臣と 海軍大臣が署名し、

   さらに、 その上で、皇居で、摂政殿下に 奏上して、ご裁可をいただかないと

   何も出来なかったのです。

   戦後の内閣とは 仕組みが大きく異なっていて、権限が弱かったのです。 



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   つまり、 官僚、政治家、 陸軍、海軍、 貴族院の特権階級、皇族に

   話が出来て、 物事をまとめていける人でないと、 総理大臣になっても

   物が決まらず、 短期間で内閣総辞職になって行ったのです。

   ここが、大日本帝国明治憲法の大きな欠点であったのです。


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   そして、内閣総理大臣が 軍隊の監督権を持っていなかったので、軍人が

   「 我々は、天皇陛下の臣下であって、 内閣総理大臣や、他の大臣など

    へのそうろうである。」と言って、 言う事を聞かなかったのです。

   戦後で言う、 文民統制が出来なかったので、 軍人の暴走を制止出来ず、

   この点も、非常に大きな、明治憲法の実に大きな欠点であったのです。



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           【  陸軍参謀本部を押さえていた 上原 勇作 元帥 】



    大正12年当時、 難しい人の代表が、陸軍の上原 勇作 元帥であった

    のです。

    陸軍が反発し、陸軍大臣が署名を拒否すると、 自然と何も決定できず、

    内閣は 総辞職するしか方法が無くなっていくのです。

    少し時代が進みますが、 米内 光政 海軍大将が、内閣総理大臣

    なった時も、陸軍大臣が辞任して、 次の大臣を出さず、 総辞職に至った

    のですが、 日本の政治というのは、 まったく仕組みが複雑であったの

    です。

    そして、これらの陸軍の幹部の行動を見ていた、若い将校が、これらの

    行動を模倣して、 暴走していったのです。



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 「 摂政 東宮 裕仁殿下から、次の内閣総理大臣は誰にしたらよいか。」 と、

 西園寺 公望 公が問われて、 返事に窮したのは、 当時、 原 内閣総理大臣

 のような、 いろんな方面にパイプがあって、政治を動かしていく、強力なリーダー

 が不在であったのです。

 つまり、誰が 内閣総理大臣になっても、 その後、 頓挫することが予想された

 のです。



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     そして、関東地方は、地震津波でガタガタとなり、 金融は混乱し、

     世の中は、乱れていた、そんな最中だったのです。


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       西園寺 公望 元内閣総理大臣は、 考えに、考えたあげく、 あくま

       でも、つなぎの内閣と言う事で、 ある老人物を推挙し、 皇居に参内

       して 摂政 東宮 裕仁殿下に、奏上されたのです。



       【 明日に続く。】