第1479回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1478話 第1次 清浦内閣の事。 2016年3月29日火曜日の投稿です。





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      1924年 大正14年の新年早々、皇居の 摂政 東宮 裕仁 殿下に

     拝謁を願い出た、 西園寺 公望 元内閣総理大臣は、次の内閣総理

     大臣に、 陸軍と関係の深い 法律の専門家で、司法大臣の経験者の

     清浦 奎吾 【 きようら けいご】 貴族院議員を推挙したのです。



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    その奏上を 新年の年賀の挨拶と一緒に聞くことになった、 摂政 東宮

    裕仁殿下は、「 清浦では、海軍が納得すまい、 どのようにいたす。」と、

    問われたのです。


     実は、数年前、 同様に推挙され、 清浦 奎吾 貴族院議員に、大命降下

     があり、内閣を組織する時に、海軍が反対して、海軍大臣を出さず、総理

     大臣就任が流れた事があったのです。


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   この 清浦という人はどういう人であったかと言うと、山縣 有朋公爵の司法

   官僚の子飼いの配下で、 山縣 有朋公爵の引き立てで、出世してきた人で

   司法省の山縣派の親分であったのです。




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   30代の頃から、山縣 有朋公爵の側近として、明治政府の刑法などの

   整備を行ってきた、 司法界のドンであったのです。

   つまり、当時の刑罰、訴訟関係の法律は、すべて 清浦 奎吾 議員が

   起案して取りまとめた物であり、戦後で言う、法務行政のドンのような存在で

   あったのです。




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     東宮 裕仁殿下 【 後の昭和天皇の事】 が、「 清浦ではーーー。」と、

     言われたのは、 海軍が納得しない人物で、又、同じように 大命降下を

     申し渡すとなったら、政局が混乱するだけではないかと、思われたのです。




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     西園寺 公望 元 内閣総理大臣は、 「 推挙の理由として、陸軍の

     上原派、 田中派に対して、 中立的な立場で交渉できる人物であり、

     陸軍の長州閥に非常に近い人物であると言う事、 そして、貴族院にも

     顔が広いので、政局の運営にはちょうど良いと思われ、 海軍との話し

     合いは、麿にお任せあれ。」 と、語ったと伝えられています。




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      当時74才の 清浦 奎吾 貴族院議員に、内閣の組閣の大命降下が

     行われ、 内閣総理大臣として 閣僚を選任することになるのですが

     新年早々、 閣僚のポストをめぐって、一騒動発生したのです。



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       その原因は、陸軍参謀本部に根を張る 上原 勇作 陸軍元帥が

       難しい事を並べて、清浦総理に対して、 難題をふっかけたのです。

       そして、 もう1人、 上原 元帥と連携していた、 三菱財閥の実質

       のオーナーで、 野党 憲政会の党首、 加藤 高明 衆議院議員

       した。


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        やっと、海軍の総理大臣を 引き下ろして、自分に大命降下があると

        信じていたようで、 蓋を開けてみると、 貴族院の 司法の爺さんが

        総理大臣の椅子に座ると聞いて、 自分が総理大臣になろうと、

        陰謀をめぐらせていくのです。



        【 明日に続く。】