第1480回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1479話 村上 格一 海軍大臣の事。 2016年3月30日水曜日の投稿です。






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   戦前の明治憲法下での内閣というのは、陸軍や海軍が、署名をしなかったり、

  大臣を辞任してしまうと、 内閣は潰れてしまうという、ずいぶんおかしな構造で

  軍人が暴走して行く原因になっていったのです。

  そう言うわけで、これらの事を教訓に、アメリカ人によって、文民統制という

  システムが作られて、戦後の日本の内閣があるわけです。



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      軍人というのは、自分達の意見が通らないと、大声を出して相手を恫喝

    したり、陰謀をめぐらせて、 政治家や官僚等をおさえて、自分達で政治を

    進めるようになって行くのですが、 これは数年後、 実際に起こっていき、

    その顛末を紹介して行きたいと思っています。


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   摂政 東宮 裕仁殿下 【 後の昭和天皇】より、海軍の調整を依頼された、

   西薗寺 公望 元内閣総理大臣は、 考えたわけです。

   数年前のように、山縣 有朋 公のコバンザメのような、清浦 奎吾議員では

   海軍が拒絶反応を起こして、 また、海軍大臣を出さないと言う事になると、

   推挙した自分の立場も悪くなるわけでして、 海軍の本省派の首魁、 山本

   権兵衛 前総理に、頭を下げて御願いに行ったようです。



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       山本 権兵衛 元総理は、年末に内閣を総辞職し、その手前、わがまま

     を言うわけに行かず、 条件を出して、清浦 内閣を了承し、 その条件とは、

     本省派の自分の言うがままに動く人物を、海軍大臣に据えると言う事で

     あったのです。

     当時、対立する艦隊派から、海軍大臣が一本釣りされると自らの立場が

     弱くなるからでして、 本省派の幹部から 海軍大臣を出すことを条件に

     したわけです。



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         【 村上 格一 海軍大将 海兵11期卒 佐賀県出身 】


   当時、山本 権兵衛 元総理は、どうも、娘婿の 財部 彪 海軍大将を

   いずれは 内閣総理大臣にと考えていたようで、 虎ノ門事件で、責任

   を取って 総辞職した山本内閣のつなぎとして、 村上 海軍大将を海軍大臣

   に推挙し、 清浦内閣が総辞職したら、 再度、 財部 大将を、海軍大臣

   戻すという密約が、 山本、 財部、 村上の3氏の間でされていたと言われて

   います。


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  村上 格一 海軍大将は、江戸時代末期の文久2年の生まれで、海軍兵学校

  11期を2番目の成績の次席で卒業し、 ずいぶん 機械のことに詳しい人で

  ありました。

  良く知られているのが、 明治の終わり頃、 イギリスのビッカース社に金剛を

  発注する際、 14インチ砲を搭載すべきだと、艦政本部で力説し、 当時14

  インチの主砲は、運用が未知数の兵器で、世界で採用している事案は少な

  かったのです。

  それが10年すると、 14インチ砲は、世界の戦艦の標準になっていたという

  わけです。


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    そのような 経緯で、戦艦 金剛  そして、 榛名 比叡 霧島などの

    主砲の生みの親は、村上 格一 海軍大将であったことは、海軍関係者に

    広く知られていたのです。



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                           【  呉鎮守府 】


   それから、 欠点というか、長所というか、 曲がったことをやらない、融通の

  きかない人でもあったのです。

  すべて 規則通り、 何事も実行していくという人で、「 おい、すまんが、規則を

  曲げて、こうしてくれんか。」 とか、 業者が「 閣下、ご挨拶をお持ちしました。」

  などと茶封筒などを持って来ると、 「 何事か。」 と、 ずいぶん機嫌が悪く

  なられる程度、 規則遵守、クリーンな人であったのです。

  例の 金剛建造に関わる汚職事件のシーメンス事件の時も、なにも受け取って

  いなかったそうで、 そういう裏表無い、まじめな人物であったのです。

  日本の刑事訴訟法を考えて整備した、元司法大臣の 清浦 奎吾 内閣総理

  大臣の内閣に、 村上 格一海軍大将が、海軍大臣として加わることになって

  行ったのです。




  【 明日に続く。】