第1518回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1517話 海軍兵学校 皇国山懲罰訓練の事。2016年5月17日火曜日の投稿です。





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 ところで、大講堂の前の綱引き競技で残念にも負けてしまいました私達の分隊

は、一同整列させられまして、 監事殿から、雷を落とされたのです。



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 全員を見渡すと、「 このざまは何か、 原因は何か。」 と、怒鳴られたのです。

 私に向かって、「 淵田生徒、 綱引きで負けた原因はなにか。」と、問われて、

 私は、 「 体力に差があったようであります。」と、解答を行うと、 薬缶が沸騰

 したような、赤い顔で、「 なにか、 よく聞こえん、 大声で言って見ろ。」と

 言われたので、同じ事を大声で叫んだのです。

すると、「 このーー、愚か者。」 と、 怒鳴られたのです。

 続けて、「 普段から貴様は、へらへらへらへらしおって、 何か命令しようと

 すると、言う前に挙手をして、志願しようとする。 まったく、落ち着きのない

 生徒である。

 だいだい、 ここに整列しておる生徒は、 精神がたるんどるから、このような

 ぶざまな結果となるのである。

 何事も命を捨て、 全身火の玉となり、 捨て身で突撃を敢行する、 こういう

 攻撃の精神、 自分の命を投げだして、艦や戦友、部下のために体を張って

 盾となる。 


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こういう滅私の精神の心構えが出来ていないからこう言うぶざまな結果となる

のである。

 これより、 修正を兼ねて、 皇国山へ早掛けを命ず、 山頂に転進し、今回の

 敗北の原因を 山頂にて、 分隊の面々で反省会を開き、 分隊伍長は結果を

報告せよ、 その報告が正解となるまで、何度でも、夜になっても 登山を命じる

ので、そのつもりで登山するように。

 以上、 終わり。」 と、 こんな話がありまして、「 きょうつけぃ 敬礼。」と

 叫んで、私達は 皇国山に向かって、 走り出したのです。



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 江田島の 皇国山とは、 当時の名前で、 皇国山 と書きまして、 みくにやま

 と、呼んでいたのです、

 海軍兵学校の北にに位置する山でありまして、 戦後は、古鷹山 と書きまして

 ふるたかやま と呼ばれています。



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      皇国山の頂上に転進し、 軍歌を大声で合唱し、兵学校の練兵場で

   監事附が立っていて、 歌が聞こえたら、下山してよいとか、 当時、この

   山は、 海軍兵学校の教育の場というか、制裁訓練の場として使われて

   いたのです。

   1度登山して、 兵学校に帰隊しまして、 それですめば楽勝であったのですが

   そのほとんどが、 「 もう一度登山を命ず。」 と、 こう言う事になりまして、

   私達は大変な思いをしていくことになったのです。

   「 はあーー、 えらぃこっちゃ、 あと、半年の辛抱や、 なんとかせにゃ
  
   あかん。」 と、 こう思っていたのでした。



  【 明日に続く。】