第1519回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1518話 海軍反省会の事。 2016年5月18日 水曜日の投稿です。




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  海軍反省会とは何かというと、 読んで字のごとく、反省する会なのですが、

 この反省会が、広く世間に知られるようになったのは、戦後の事でした。



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  大東亜戦争こと、太平洋戦争が、敗戦し、 終戦と呼ばれる年の数年後、

 海軍将校の一部の面々が、 どうして戦争に負けてしまったのか、反省する会

 海軍反省会なる 催しを企画し、 戦時中、指導的立場の将官、佐官を呼びつ

 けて、初めは、お話を聞く会であったのですが、その後、 共産党人民裁判

 ような会になっていき、 将官、佐官連中から、 敬遠される存在になって行った

 のです。




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 みんな、行くと、当時末端の海軍将兵達に、 「 どうして、そーなったのか。」と

次々 詰問されていくことになり、 最後は、 「 お前だけどうして生きているのか。」

「 大西さんのように切腹自決したらどうか。」とか、責任追求話などを、大勢から

言われるわけで、 話をしに行く水交会の面々も、たまったものではありません。



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   まっ 実は この海軍反省会というのは、私達が海軍兵学校に在校していた

   当時から存在していたのです。

   当時、 10月後半から12月初旬に人事定期移動、 つまり、 転勤があり

   まして、 年が変わって、 その配置場所の職務の術科習熟訓練が行われ、

   8月の後半から、9月、10月初旬に、 その年の演習があるのです。



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  つまり、大正12年の8月後半から、当時の連合艦隊を構成する、第1艦隊と

  第2艦隊は、 中国の関東州、 旅順沖合で演習を紅白に別れて、行っていた

 最中に、関東大震災が発生したというお話は、以前紹介したとおりです。



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 当初は、 これらの演習の後に、 戦果がどうであったとか、 なにか、問題は

 無かったか、 問題があれば、どう改善したらよいか、 そう言う討論が行われ

多くの高級将校を前に、 当事者が苦労話や、失敗談を語り、 それについて

 討論し、 情報を共有して作戦遂行、部下の統帥に役立てていったのです。

 そんな、海軍反省会ですが、 大正13年2月に 皇国山で開かれることになった

 のです。


   【 次回に続く。】