第1530回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1529話 ミュンヘンの裁判前後のドイツの世相の事。

                       2016年6月1日水曜日の投稿です。 




  1924年当時、 ドイツは日本と違いまして、いろんな王国の寄り合い所帯で

あったのです。

 そして、それらの複数の王国の王様の上に立つ、力の強い王様がいて、 イギリス

やフランスに追いつけ、追い越せを連呼して、 手つかずの弱小国家を武力で吸収

していきどんどん、植民地を増やしていったのです。

反面、 ドイツを攻撃するレジスタンス活動も占領地内で活発化したのです。




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 そうすると、どうなっていったかというと、 領土が増えると、ドイツ国籍の、植民地

や、占領地の人達が、強制されたり、自主的にドイツ国内に入って、ドイツの工場で

仕事をするようになって行ったのです。


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  これらのドイツ人ではなく、ドイツで仕事をさせられていた人達が、反乱を起こし、

 そして、暴動となって、 ドイツは、パリまで100キロ程度まで迫っていたのですが

 これらの反乱や、アメリカの物量戦に押されてしまい、 降伏して条件の悪い和平

 を結ばされて、当時天文学的数字に近い損害賠償金を連合国の中のフランスに

 対して支払いをさせられることになって行ったのです。




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  ところが、大量の紙幣がドイツ国内にあふれかえり、紙幣の価値が暴落して

  ドイツ国内はインフレとなり、 フランスに対して 支払いが出来なくなって、

  国庫が破綻して行ったのです。


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   これらは、フランスがばらまいた、偽札が素因であったとか、そういう話しも

  あるのですが、紙幣の価値が下落して、 お金があった人も、二足三文の価値に

  なってしまい、ドイツは経済破綻していったのです。



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  それを待っていたかのように、フランスはドイツの石炭の産地のルール地方

兵力を展開して、占領していったのです。

金が払えないのなら、 石炭を代わりに没収すると、こういう口上であったのですが、

ドイツの炭鉱労働者に対して、厳しい労働が申し渡され、抗議する人は見せしめで

公開処刑されていったのです。



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ドイツの人々は、ストライキで対抗していったのですが、フランス軍は武力でこれら

を潰して行き、 フランスの植民地から奴隷のような労働者を連れてきて、ドイツ人

の代わりに強制労働させて、ドイツから大量の石炭を持ち去っていったのです。



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    これらの理不尽な行為に対して、当時のヴァイマール政府は、具体的な

 対抗措置をとらず、というか、取れなかったのです。

 国民の間には、「 何をやっているんだ。」 と言う、不満がたまっていったのです。

 経済は破綻して、 回復の見込みもなく、 さらに悪化していき、失業者は増える

 それに反比例して、 治安は悪化し、 ドイツに入り込んでいた、不良外国人

 の犯罪が増えていったのです。



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    そのような、ゆがんだ混乱した時代の1924年、ヒットラーに対して、

  どうして、時の政府に反旗を翻すような事を行ったのですかと、裁判長は

  質問を投げかけたのです。


  【 明日に続く。】