第1545回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1544話 第三帝国の構想の事。 2016年6月16日木曜日の投稿です。
2度も退学処分となり、 自分の好きなこと以外一切、行おうとしない子供で
学歴もなければ、 外国語なども話せず、数学や、その他の事も、子供程度の
知識しかなかったのです。
それは、学校に行かず、 家に引きこもっていたので仕方がないことでした。
唯一、 絵を描くことと、 オペラを見るのが好きで、その方面の音楽や演技の知識、
建物の、どちらかというと、ローマ風の建物が好きで、 その方面の知識がある
程度であったのです。
つまり、レーニンのように、いろんな外国語を操って、 演説をして回ったり、
毛沢東のように、 学問が出来る そう言う人ではなかったのですが、戦時中に
身につけた、鋭い キツネのようなずるがしこさと、 相手を信用しない交渉方法
などや、 台本を見て 演技をしながら人前で語る事は、人並み以上に優れて
いたようです。
というか、進むべき道を考え書き表したと申し立てていたのですが、近年の
研究では これはウソで、 一部分 ヒットラーの話と考えが入っている事は
確かですが、 書き表したのは、ルドルフ ヘス 副総統なのです。
つまり、ヒットラーは、当時本を読んだり、 議論をしたりしていたのですが、
本を作るような文才や、国語力が無かったのです。
ソビエトと戦争をして、東部戦線で兵力、物資、国力を消耗したからだ。」と、解答が
返ってきます。
仕掛けていって、返り討ちになったのか、 ここの所が多くの謎になっているのです
が実は、 1924年 大正13年の4月後半、 刑務所の中で、後の副総統になる
ルドルフ ヘスの書いた 本の下書きが大きく影響をあたえていったのです。
多くの人が、ヘスは、お飾りのような、手駒に過ぎなかったと主張する人が
多いのが実際ですが、 日本海軍の研究では、ドイツを第2次世界大戦に
追いやったというか、 進ませていった原点は、ルドルフ ヘス が絵を描いて、
ヒットラーがその御輿に乗っていったというのが本当のところであったのです。
すべては、ミュンヘン裁判が終わって、刑務所に入り、「 ヘス、君は出所後
どんな考えを持っているのかね、 ドイツはどうあるべきなのか。」と ヒットラーが
ドイツは結ぶべきです。」と、 ヒットラーに解答したのです。
ヒットラーは、みけんにシワをよせて、「 なんという 愚かな事を。」と
機嫌が悪くなり、 「 あのイギリス野郎と同盟だと、 けがわらしい。」と
吐き捨てたのですが、 ふぅーーーーと、一息ついて、 「 で、 その後、
どうするのかね。」 と、 ヘスに問いただしたのです。
このヘス 元陸軍少尉の構想こそ、 後のナチスの外交戦略の根幹となって
いったのです。
ヒットラーは、この話を聞いて、 「 すばらしい。 なんとすばらしい構想か。」と
大いに感心して、ナチスの方針に採用したのです。
その、イギリスと軍事同盟を締結して、 どうしていくのか、この話を聞くと、
後の1930年代の 秘密の多い部分から、1941年のイギリスによる
ヘス副総統逮捕事件までの秘密がつながっていることが解ってきたのです。
【 明日に続く。】