第1564回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1563話 浪人生の思いの事。 2016年7月5日火曜日の投稿です。




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  みなさん、以前紹介したのですが、海軍兵学校では、風呂場の事をバス と

呼ぶのです。

 海軍兵学校にやってきて、1番にさせられることーー それは 数年前に紹介した

のですが、 バスに入ることであったのです。

 娑婆【 しゃば  一般社会の事】のあかや、汚れを落とし、 皇国の兵士に

染まるためであったのです。

 下着も何もかも、国の支給の物に履き替えて、 私服は、実家に送り届けられた

のです。
 

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  艦艇のバスと違って、海軍兵学校の風呂場、 バスは 首まで深さのあるプール

のような感じの物で、1号生徒【 最高学年 】専用浴槽と、 2号、3号 専用浴槽

とに別れていたのです。


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            【 大正時代の 練習艦隊 の出港の様子 】


 当時私がバスにつかっていると、井上 武男 生徒 【茨城県 水戸中学卒】が

「 淵田生徒、 練習航海は、ぜひ、御召し艦に乗艦したいだっぺゃ。」と言うので

「 御召し艦ちゅうたら、 高松宮殿下の乗艦する練習艦かいな。」と話すと、「国へ

【水戸の実家に戻って】帰って、「 殿下と一緒に練習航海にイッタッペゃ。」と言うと、

鼻が高いダッペ。」と言うので、「 そやなーーーぁ。」 と話をしたのです。



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         【 大正13年に撮影された 高松宮宣人殿下 海兵52期卒 】


 当時、私達と同じクラス【学年の事、 当時学年の事を クラスと呼んでいた。】に

大正天皇の三男 昭和天皇の弟の 高松宮殿下 が在籍されていたのです。

 井上生徒の希望は、 海軍兵学校を卒業して、 練習艦隊に配属となり、殿下の

座乗する 御召し艦に一緒に乗り組みたいと、 こういう希望がというか、願望が

あったようです。



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       【 若い頃の 源田 實 生徒  後の 海軍大佐 航空幕僚長


  当時、高松宮殿下は、私より2才も年下で、 源田生徒は 高松宮殿下と同い年

であったのです。

 ところが 私は 苦労して遅れて入学したので 昨年卒業した第51期に本来は

 在籍していないと行けないわけですが、 残念な事に、 周囲は年下の生徒

 ばかりであったのです。


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  戦後の現在、 高等学校までは、年下のクラスに編入させられると言う事はない

でしょうが、当時私は、 1才年下の生徒、2才年下の生徒達と、一緒にさせられ、

人に言えない つらい思いをしていたのです。

 同じ年の生徒は先輩となり、 見下された扱いを受け、年下の生徒と仲良くしない

と行けないわけです。

そして さらに 情けないことに、 2才も年下の源田生徒の方が、私より、ハンモック

ナンバーが、70番程度上であったのです。



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    校長先生の息子で、故郷 奈良県の畝傍中学【 奈良県立うねび高校の事】

  では、秀才で通っていたのですが、 2 才も年下で、 広島第1中学【 広島県

  国泰寺高校】飛び入学扱いには、成績が届かないわけですから、随分劣等感を

  感じていたのです。 


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そんな私達にも、 「軍縮で首になる。」 と言う話が何度もあり、 「 もうあかん。」

と、 思い込むこともあったのですが、なんとか卒業の季節まで勤まったのです。

いよいよ、 海軍兵学校の卒業式が近づいてきたのでした。


 【 明日に続く。】