第1570回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1569話 古川 鈊三郎 司令長官の事。 2016年7月11日月曜日の投稿です。







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   ところで、私が 海軍兵学校の1号生徒であった頃、 以前紹介した、第51期

 の正木 生虎 生徒の お父さんの 正木 義太 海軍少将と、家族のような付き

 合いをしていた、 齋藤 七五郎 海軍中将が、3月末まで、練習艦隊司令長官

 であったのです。

 そして、その後任が、 古川 鈊三郎 【 ふるかわ しんさぶろう】 海軍中将

 であったのです。



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  古川閣下は、福井県の出身で、 海軍兵学校 第21期卒、日清戦争に出陣し、

 日露戦争の頃は、 佐世保鎮守府の参謀であったのです。

 その後、 斎藤 實 海軍大臣の秘書官となり、 海軍省で長く勤務した通称、

 本省派の軍人で、 実力者 山本 権兵衛 海軍大将の副官を長く務めた、

 山本 ファミリーの 直参であったのです。


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   その後、 第1艦隊 参謀、 第2艦隊 参謀 横須賀鎮守府 参謀長と

   日のあたるポストを1年ごとに歴任し、 海軍省の教育局長に就任し、

   関東大震災の3ヶ月後、 多くの将官が 軍縮と称して、予備役にされていく中、

   山本 権兵衛 内閣総理大臣の推挙で、 海軍中将に 進級されたのです。



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   そして、今度は、練習艦隊司令長官に着任されたのです。

   当時、 山本 権兵衛 さんや、 義理の息子の 財部 彪 海軍大臣は、

   軍縮と称して、 自分達の意のままにならない 将官、佐官を 予備役に追い

   やり、 自分達の周囲を、 本省派という派閥で 固めていたのです。


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   シーメンス事件で 引責辞任した、山本 権兵衛 内閣総理大臣が、その後も

 影の総理と言われるほど、権力を維持できたのは、 大蔵省に、配下の 高橋

 是清 さんを送り込み、 その後、当時の与党の立憲政友会に入会させ、

 与党と、海軍の 主要ポストを  本省派 の軍人で 独占していたからなのです。

 そんな、 本省派の 中心人物の 副官をやっていた人が、私達の 大正13年度

 練習艦隊 司令長官であったのです。


  【 明日に続く。】