第1579回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1578話 海軍兵学校 第52期の御賜組の事。

                        2016年7月20日水曜日の投稿です。





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  1924年 大正13年の7月24日 木曜日、 海軍兵学校で、来賓の方がたの

 挨拶、 海軍兵学校 校長 谷口 尚真 海軍中将の挨拶の後、 高松宮 宣仁

 親王 殿下に 卒業証書が渡された後、 いよいよ、私達に 卒業証書が渡される

 ことになって行ったのです。 


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            【 大正13年7月撮影  高松宮宣仁 親王殿下 】





 その次は、 首席の生徒、 次席の生徒までが、校長から 卒業証書をいただけ

 たのです。

 当時の第52期 首席 は、 入江 壽直 生徒 鳥取県出身 でした。

 そして、次席の生徒は、 内田 成志 生徒 熊本県出身でした。

 この2人は、 語学も2カ国語ペラペラで 勉強も運動も 抜群な成績であり

 ました。



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   その後、 第3席から、10番までが、御賜 【おんし】組と呼ばれて、表彰を

   受けると同時に、首席から10番まで 御賜の短剣が授与されたのです。



    当時の第3席は、 赤塚 栄一  【後の 白濱 栄一】生徒 鹿児島県出身

          4番は、 有馬 純一 生徒 鹿児島県出身

          5番は、 有馬 高泰 生徒 鹿児島県出身

    この3人は、 赤塚研究会と呼ばれる 鹿児島の勉強会のメンバーで

    みんなで、協力して、 試験問題を研究していた面々でした。

    3人は、手堅く、成績をまとめて、鹿児島県組が3番から5番まで

    名を連ねたのです。

    戦後、思ったのですが、私も 小池君と連んで、奈良県 研究会なるもの

    立ち上げて、 白濱生徒のように、研究をしていれば、もっと 前になれた

    かもしれません。


    6番は、内藤 雄 生徒  山形県出身

    7番は、塚田 収 生徒  東京都出身

    8番は、田村 健太郎 生徒   富山県 出身

    9番は、鈴木 武  生徒 神奈川県出身

   10番は、長井 弘介 生徒 福岡県出身

   以上  ここまでが、御賜組の面々でした。



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        私は、「 ほうーーー、たいしたもんや。」 と、年下の 同期の生徒を

        後から 羨ましくというか、 ため息をつきながらというか、 残念に

        感じながら、 眺めていたのでした。

      
   かれらの表彰が終わると、向かって右手に、 教頭、兼 監事長の松山 茂

   海軍大佐 【 海兵第30期卒】が 立たれていて、 ここで私達は 卒業証書

   の授与を受けることになっていったのです。


   【 明日に続く。】