第1581回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1580話 面会の自由時間の事。 2016年7月22日金曜日の投稿です。






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  ところで、当時、 卒業式で、卒業証書の授与式の後、 1時間程度、自由時間

つまり、親族が兵学校に訪ねて来ている生徒もいるので、 面会が許されていたの

です。



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 但し、当時は蒸気機関車の時代ですから、 遠隔地からは親族が数日かけて

江田島入りすることは少なかったのですが、 山口県や、広島県岡山県愛媛県

の範囲の出身の生徒の親族が、卒業式を見に、江田島を訪れていたのです。


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  私の場合も、 父と兄は仕事があり、母も体が弱く、 面会はなかったので、

最後に、養浩館【 兵学校の酒保の事】に出向いて、 江田島の矢野のようかん

を【 当時 江田島に 矢野という和菓子屋があった。】食べにでも行こうと考えて、

井上生徒達と歩いていると、 源田達にあったのです。

 「 おう、源田、 どないしたんや、 貴様の所は、 面会がないんかいな。」と、

問うと、 「 わしの家は、広島県いうても、加計の山奥じゃけぇのお、 ここまでは

2日程度、かかるけぇ だれもこんわ。」 と言う、 「 どうや、一緒に 最後の

ようかんを食べにいかんかいな。」と 誘うと、「 おぅーーほうじゃのう。」と、 

こんな話をしていると、向こうから、 風呂敷包みを持ったおばさんが、

「 實【 みのる】さん。」と、近づいてきて、 源田が、「 おぅーー、おばちゃん、 

どうしたんなら。」と、聞くと、「 おばちゃん、 おはぎ作ってもってきたんよ。」と、

 風呂敷包みを開きだしたのです。



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  以前紹介したのですが、 広島市内に 原酒造という、 酒の販売するお店が

あって、源田生徒は、加計の山中から、広島に出て、 そこの家に下宿をさせて

もらい、 広島第1中学へ通っていたのです。

この、原のおばちゃん、 ずいぶん気のよい人で、「 あんたらーも、よかったら、

箸をようけもってきたけぇ 一緒に食べんさいゃ。」と、 声をかけていただき、

一緒に おはぎを いただくことになったのです。

 「  おばちゃん、 ぶち うまーーのーー。」と、源田生徒が言うと、「 ほうじゃろう

 夜くらい内に作ってきたんよ、 もうねーー 呉の河原石【 現在の川原石港の事】

 まできたのはえーーけどね、 その先が大変で、 やっと 小用に着いて、人に

 道を聞きながら、 ここまできたんよう、 たいへんじゃったんよ。」と、 こんな

 話をしながら、 ワイワイガヤガヤ、 舌づつみを打ったのです。



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                                 【  当時の 小用 港 】


 むしゃ、むしゃ いただいていると、 原のおばさんが、「 實さん、幸夫君ね、

 松三 兄さんのように、 大蔵省の役人になる言うてね、 東京帝大を受けるん

 よ。」 と、こんな話をするのです。


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  聞いてみると、 源田の お兄さんの松三さんは、東京帝大を卒業して、大蔵省

に入省したそうで、 弟の幸夫君は、 その後を追って 東京帝大の受験を考えて

いたようです。

そして、 源田同様、 原さんの所に下宿をして、 広島第一中学に通っていたそう

です。

 源田が、「 幸夫は、 柔道ばかりしょうたが、 少しは、勉強する気になったよう

 じゃのう。」 と、 こんな話をしながら、私達は、 短い自由時間を過ごしたのです。

 源田家は、たくさん家族がいたようですが、 長男の松三さんは、大蔵官僚、

 次男の源田は、 参議院議員、  三男の幸夫さんは、 通産官僚として、活躍

 していくことになるのです。


  【 明日に続く。】