第1582回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1581話 部隊編成式の事。 2016年7月23日土曜日の投稿です。





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   自由時間はあっという間に過ぎ去り、 私達は、ラッパ信号で南側の練兵場

 に集合をかけられたのです。

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  戦後の 江田島海軍兵学校を描いた 映画や小説では、卒業証書を受け

取った後、ハンモックナンバーの順番で、艦艇に乗り込む姿が描かれていますが

そういう時代もあったのかもしれませんが、 私達の 第52期の当時は、そうでは

なかったのです。

どういうことかというと、 当時の練習艦隊は、 浅間、 八雲、 出雲の3隻であった

ので生徒を3分割して 部隊編成する必要があり、 おまけに当時は、海軍機関学

海軍経理学校の生徒も乗艦する事になっていたので、 事前に生徒を 部隊に分けて

編成する必要があったのです。



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 その当時、 どういうわけか、私が乗り組む 八雲から 部隊指揮官などが

発令されまして、 練習艦 八雲 【 やぐも 】の指揮官は、 ハンモックナンバー

順で 3席の 赤塚 栄一 【 後の 白濱 栄一】 鹿児島県出身 明治学院中学

卒でありました。

海軍機関学校の部隊指揮官は、 福谷 英二 という生徒でありました。

それから、海軍経理学校の部隊指揮官は、 安住 栄七 という生徒であったの

です。

このような訳で、 私は、 赤塚生徒の部隊に配置されたのです。



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               【 練習艦隊旗艦 装甲巡洋艦 浅間 】


 
    その次の発表では、 旗艦 浅間の部隊の発表があり、部隊指揮官には

   ハンモックナンバー首席の 入江 壽直 生徒が指名され、井上生徒、玉井

   生徒などは、入江生徒の部隊に配置されたのです。


   機関学校の部隊指揮官は、 中筋 藤一 生徒でした。 おそらく彼が機関

  学校の当時の首席 卒業生徒であったのだと思います。

  海軍経理学校の生徒隊は、 吉岡 清作 という生徒が部隊指揮官でした。

  おそらく彼が、 当時の首席の生徒であったのでしょう。



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  そして 最後に、 装甲巡洋艦 出雲 【 いずも】の部隊編成が行われたの

  です。

  当時の部隊指揮官は、 次席生徒の 内田 成志 生徒でありました。

  源田生徒や、小池生徒 生田生徒は、 内田生徒の部隊に配置されたのです。


  海軍機関学校 生徒隊の指揮官は、 大田 清治 という生徒で、おそらく彼が

  次席の卒業者であったのであろうと思います。

  海軍経理学校の部隊はわずか9人でしたが、部隊指揮官は、 青山 久二 

  という生徒でした。



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  このような形で、 関東大震災で 江田島疎開してきていた、 海軍機関学

 海軍経理学校の生徒も、 3個の部隊に分けられ、 その部隊の生徒の1番成績

 のよかった生徒が部隊指揮官に指名され、 一般の生徒は、その命令に従うこと

 が求められたのです。

 当時の軍隊というのは、 命令に従わないと、 抗命罪 という罪があって、 上官

 に告発されると、 軍法会議にかけられて、ひどい時、悪質な場合は、銃殺刑に

 なったのです。

 これを 海軍では、法務死と呼んでいたのですが、いよいよ私も、学校の生徒から

 卒業することになって行ったのです。


  【 明日に続く。】