第1583回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1582話 部隊行進の事。 2016年7月24日日曜日の投稿です。




イメージ 2



  大正13年7月24日 木曜日、校長 谷口 海軍中将の訓示の後、 軍楽隊 

指揮官 内藤 清五 特務少尉の指揮する軍楽隊が行進曲の演奏を開始し、 



イメージ 7



私達 海軍兵学校 第52期の生徒、 海軍機関学校 第33期の生徒、 海軍

経理学校第12期の生徒は、 浅間部隊、 八雲部隊、 出雲部隊とに別れて、

行進を開始したのです。



イメージ 1



  私が所属する 八雲の部隊は、 指揮官 赤塚 栄一 【 後の 白濱 栄一】

少尉候補生の号令で、 行進を開始し、 後輩や、 監事、 監事附、教官、家族

が見つめる中、 船着き場に急いだのです。



イメージ 3



   赤塚 少尉候補生が、「 全員 敬礼。」 と 号令をかけると、 私達は

行進しながら敬礼し、 見送りに答えたのでした。



イメージ 4



      海軍兵学校に勤務する人達の家族も、当時の礼服で 整列して見送って

  いただいて、 感激したものです。


イメージ 5



  私達が乗艦する 江田内の海面には、海軍兵学校短艇がならんで、見送って

 くれまして、「 全員 帽子ふれ。」 の号令で 私は一生懸命 自分の帽子を手に

 もって、 揺れる廷内で 帽子をふったのです。



イメージ 6
 



    いよいよ3年間暮らした、海軍兵学校とお別れして、 艦隊勤務が始まった

   のです。




イメージ 8



    【 ブログ管理者より】

  まえがき投稿より、 早いもので 4年5ヶ月が過ぎました。

  やっと、海軍兵学校の物語が終わりました。 

  実は、 もっと 細かく紹介しようかとも考えたのですが、 表に出すのは

  御子孫のためにどうかという、 はばかれる事柄もあって、 そういう事件とか

  事故とかは、 紹介しませんでした。


イメージ 10


  と゜なたでもそうだと思いますが、自分のひいお爺さんが、 免官になったとか、

大失敗して、ーーー云々というお話を世間に公開されると、良い気持ちはしないと

考えたのです。

実は、今日紹介した、 浅間、 八雲、 出雲の 3個の部隊編成表というのも

関学校 経理学校をも含めて詳細に紹介しようと考えたのですが、 どうしても

成績順の構成となっていて、 末端の人の名前を公表することとなり、 そのような

事を、 御子孫からすると、 公になると良くないと考え、熟慮した結果、公表しない

事にしました。

 もし 知りたい人がいらっしゃったら、 投稿でお尋ねください。



イメージ 9



  当時、 大蔵省の国家予算が破綻し、 シベリア撤退、 食糧物資バブルの

  崩壊、 金融機関の破綻、 庶民の預貯金の消滅と、 そのような中、関東

  大震災が重なり、 帝国議会は 空転国会を繰り返し、 又、 海軍兵学校でも

  大幅な人員削減が大正12年7月から開始され、 第52期の生徒の中では、

  何度も解雇になるという 噂があったそうです。

  次回からは、江田内を出港する練習艦隊での日々をお話ししていきたいと

  思います。  


   【明日に続く。】