第1584回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1583話 八雲に乗り組む事。 2016年7月26日火曜日の投稿です。



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  1924年 大正13年の7月24日木曜日、 私達は、 江田島の西護岸や、

後輩達、 53期 54期の面々に見送られて、 約3年間暮らした 海軍兵学校

後にして、 それぞれの配属先の練習艦隊の艦艇に乗り組んだのです。



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   私は、 この時が当時ずいぶん嬉しかったのですが、 その後、私だけでなく

 士官候補生の全員が、「 海軍をやめてしまおう。」 と後悔する程度の厳しい

 航海と作業が待っていたのです。

まぁーーそうですね、 当時、水兵と同じような作業を一緒にするだけならまだしも、

上下左右に揺れる 艦上で私達は、船酔いに苦しむこととなっていったのです。




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      【  大正13年から14年度 練習艦隊司令部 集合写真 】



    順番に説明しますが、 この私達が配属されることになった 練習艦隊は

 他の年度と違って、 いろんな厳しい出来事が発生し、落伍者や死人まで

 出ていくのです。




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           【 大正13年度  浅間  士官候補生 集合写真 】




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          【 大正13年度  八雲 士官候補生 集合写真 】



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          【 大正13年度  出雲 士官候補生 集合写真 】



  ところで、 上の3枚の私達の集合写真は、実は 江田内で夏場の7月に撮影

された品でなく、 11月の秋に 横須賀停泊中に撮影された写真ですが、 当時、

私達 海軍兵学校 第52期の士官候補生は、当時の練習艦隊  旗艦 浅間 

【 あさま 】八雲 【 やぐも】 出雲 【 いずも 】の3隻に 見習士官として乗艦

したのです。




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    赤塚 栄一 【 後の 白濱 栄一 】士官候補生 が、 「 全員 急いで

 乗艦、 甲板に整列せよ。」 と、 号令をかけると、 私達は一斉に整列し、

 赤塚 士官候補生が、「 番号点呼。」 と、 命令すると、 みなみな 番号を

 叫び、 自己紹介ならぬ、 自己申告をすることになっていったのです。


  【 明日に続く。】