第1614回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1613話 特務艇 見島の事。 2016年8月28日日曜日の投稿です。




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 大正13年の3月当時、 佐世保軍港には、佐世保防備隊の中に、第二十二潜水

隊という、 3隻の潜水艦を擁す部隊があって、 その支援艦として見島という艦が

あったのです。

この見島 【 みしま】という艦は、ロシア製で日露戦争の時、日本が押収した艦で

4960トン 16ノットしかない鈍足艦で、62名の乗組員であったのです。

シベリア出兵では、砕氷艦として使用していた後、 大正11年から、潜水艦を支援

する特務艇に指定され、 佐世保軍港で運用されていたのです。



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 ところで、大正13年 こと1924年 3月19日の早朝、 佐世保防備隊司令

高橋 節雄 海軍少将は、この見島に乗り組んで、佐世保湾を出港したのだそうです。

そして、第二十二潜水隊の 第四十一潜水艦、 第四十二潜水艦、 第四十三潜水艦

の3隻も、見島に続いて出港していったのです。



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 そして、 演習の相手役として、 軽巡 龍田と 第二十八駆逐隊 と、第二十九

駆逐隊が佐世保軍港を出港していったのです。

高橋 節雄 海軍少将のお話では、 当時、 特務艦 見島を 陸軍の兵員輸送船

と想定して、 その横を 第二十八駆逐隊、 見島の前方を 第二十九駆逐隊が

掃海し、 それを 軽巡 龍田が援護、支援するという想定で演習が始まったのだ

そうです。


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  高橋閣下のお話によると、 第二十二潜水隊の3隻の潜水艦は、分散して

陸軍の輸送船に見立てた、 特務艦 見島を 襲撃するという役回りであったそう

です。

高橋閣下の目撃証言では、 見島の艦橋から見ていた当時のお話として、朝の

9時頃、 見島の左弦横90度方向、 約6千メートル程度付近を航行中の龍田から

「 ワレ、センスイカント ショウトツセシ ゴトシ。」という信号を受信したのだそうです。

その場所は、即伏瀬 という浅瀬の南80度東約3海里の場所であったそうです。

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        私達は、その軽巡 龍田と 潜水艦の衝突事故のお話に聞き入った

        のでした。


         【 明日に続く。】