第1622回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1621話 第43潜水艦 小川 昊 海軍機関大尉の事。

                        2016年9月5日月曜日の投稿です。




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   大正13年3月19日 午前8時50分頃、 第22潜水隊の3隻の潜水艦と

  それを支援する 特務艦 見島と、 軽巡 龍田、駆逐艦4隻で、佐世保の西、

  相浦の沖合で、 特務艦 見島を 陸軍の兵員輸送船と言う事にして、 龍田

  と4隻の駆逐艦がこれを護衛し、 第22潜水隊の 第41、 第42、 第43の

  3隻の潜水艦が隠密に近づいて、強襲攻撃すると言う想定で、演習が開始

  されたのです。


   「 潜望鏡 深度、 浮上せよ。」 「 メイン タンク ブロー。」と、発令し、



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    潜望鏡をあげたまでは、 いつも通りであったのですが、数秒後、とんでも

   ない事故になって行ったのです。



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  第43潜水艦が 潜望鏡を出したのは、なんと、軽巡 龍田の進路 約80メートル

程度前であったのです。


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    軽巡 龍田の見張り員が気がついたのが、 約50メートル程度手前で、


    「 警報、 前方、潜望鏡。」 と叫んだ時は遅かったのです。


    軽巡 龍田は、 速力15ノットで、潜望鏡にぶつかっていったのです。 



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                  【 衝突した 軽巡洋艦 龍田 】


  第43潜水艦の司令塔付近に真横から5千トンクラスの軽巡 龍田が15ノット

 で突っ込んでいったわけです。



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    龍田の 喫水線の下側が第43潜水艦の 司令塔、発令所 タンクを

   押しつぶし、 ここから どっと 海水が入り、 発令所の 桑島 新 大尉ら

   13名が一瞬にして全滅したのです。

   その後、どうなっていったのかと言う事については、 詳細がわからなかった

   のですが、 第43潜水艦を引き揚げたその後、 子細に記録していた人がいて

   様子がわかったのです。


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   これが、日本海軍の潜水艦の横断面なのですが、 発令所の下にタンクが

   あるわけです。

   ここに海水を入れたり、出したりして、 浮いたり、沈んだりする構造なのです。



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      ところが、軽巡 龍田が直角に、真横から衝突した事により、

      これらのタンクが破壊され、 どっと、海水がタンクに入って、 空気が

      外に出てしまい、 潜水艦が海水の重さで 沈んでいってしまったのです。



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       【 演習統括部員 小川 昊 海軍機関大尉  大阪府 出身 】


   小川 昊 と書いて おがわ こう と読みます。

   小川 機関大尉は、 大正12年3月初旬より、 第五十九潜水艦の機関長

   に着任し、 事故当日  演習統括部員として、 第43潜水艦に乗り合わせて

   いたのです。

   
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   電源が飛んで、暗闇の中、 小川機関大尉は、帳面に子細に感じた事を

   書き残していたのです。

   次回から、 この記録に基づいて いったい何が起こっていったのか、勉強

   したいと思います。


     【 明日に続く。】