第1624話 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1623話 軽巡 龍田による捜索の事。 2016年9月7日水曜日の投稿です。





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  ところで、佐世保防備隊の講堂で高橋 節雄 閣下のお話を聞いていた私達

ですが、 高橋閣下のお話では、事故当時、第22潜水隊 特務艦 見島の艦橋で

遠くから眺めていたそうです。


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なにしろ、6千メートルも離れていたわけですから、 よく見えなかったのですが、

軽巡洋艦 龍田が 動かなくなってしまい、「 やつら、なにをしておるのか。」と

思っていると、発光信号で、 「 不本意ながら潜水艦と衝突したと思われる。」と

伝えてきたわけで、 防備隊の司令として決断を求められたそうです。



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              【 第43潜水艦と衝突した  軽巡洋艦 龍田 】



   実は、この時、 潜望鏡に体当たりし、 座礁でもしたような感じとなり、3隻

  の内のどの潜水艦と衝突したのかわからなかったそうです。

  見島から、 他の駆逐艦に信号を送り、「 演習 中止、救助に向かえ。」と

  発令し、 海上では大騒ぎになって行ったそうです。

  
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   しばらくすると、 演習が中止となり事故が発生したことに気がついたのか、

  他の2隻の潜水艦が浮上して近づいてきたので、 衝突して沈没したのが

  第四十三潜水艦であることがわかったそうです。



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   当時、龍田に 潜るのが上手というか、なれた下士官が1名いて、 潜って

  潜水艦がどうなっているのか偵察する事を命令し、発令したそうです。



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   すると、 しばらくしてその潜水夫が上がってきて申告するには、 潜水艦の

 中央部司令塔付近から、艦の喫水線の下まで大きく縦割れが発生し、水中で

 艦尾と艦首で、 金槌で叩いてモールスを送ったところ、返信があったと語った

 そうです。

 このような報告から、 まだ 第四十三潜水艦には、生存者がいるに違いないと

 判断し、 佐世保鎮守府や、佐世保海軍工廠、 三菱の造船所に潜水夫などの

 応援の要請のモールスが打たれることになって行ったのだそうです。


 【 明日に続く。】