第1627回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1626話 第43潜水艦 鬼塚 實治 海軍機関兵曹長の事。
2016年9月10日土曜日の投稿です。
小川 昊 海軍機関大尉達の遺書に出て来る 海軍機関兵曹長は、鬼塚さんと
穴見 さんという2人の名前が登場するのですが、 潜水艦は当時二交代制で、
2名が8時間交替で、機関科の第三分隊の中の実務を取り仕切っていたようです。
今日のお話は、その中の1人、 鬼塚 實治 海軍機関兵曹長のお話です。
【 鬼塚 實治 機関兵曹長 殉職後、 特務少尉に昇進 鹿児島県出身 】
ところで、 鬼塚 機関兵曹長は、死後、 1階級昇級し、 特務少尉に任じられま
した。
特務少尉と、少尉とでは、 特務少尉が一段低い扱いで、 兵卒からの下士官
あがりの将校を 特務 をつけて、 特務少尉と呼んでいたのです。
鬼塚 機関特務少尉は、明治17年7月8日 鹿児島県 薩摩郡 東水引村に
誕生し、 大正8年3月に機関兵曹長に任官し、 以後事故当日まで潜水艦の
機関科で勤務していました。
1884年が明治17年ですから、35才で、機関兵曹長に任官し、事故当時は、
40才であったと言う事になります。
【 大正13年撮影 鬼塚 實治 機関兵曹長 遺書 】
死後、 御遺体から 遺書が見つかり、 暗闇の見えない中で書いたので、
大きな字で、 揃っていないのですが、 書いてある意味は、おおよそ、今の
言葉に直すと、 以下の如しです。
当直日誌紙片
遺言の事。
午前九時十五分 衝突し、左弦に傾斜しつつ、沈没セリ、漏水箇所は発令所と
思考スッ、漏水を排除せんとするも、電気無し、よって出来得るだけの漏水を
止める工夫をなせしも、手がかり無く、萬事を尽くした
本望この上も無し、 陛下万歳三唱をして死に付く
潜水艦諸員の発展と健康とを祈る
私事に関しては いく子【妻】承知、孝之助氏に頼む
二子は立派に生育を頼む
孝吉 様 鬼塚
と、書いてあるようです。
奥さんのいく子さんには、日々、戦死についての心構えを話していたのか、
承知 とだけ 書いてあります。
2人のお子さんの事を気にかけておられたようです。
鬼塚さんと、穴見さんは、 記録に名前が出て来るので、覚えていただけたらと
思います。
【 明日に続く。】