第1630回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1629話 第43潜水艦 沈没事故 穴見 機関兵曹長の遺書の事。

                        2016年9月13日火曜日の投稿です。




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       【 大正13年3月に佐世保市 相浦沖で沈没した 第43潜水艦 】


 昨日は、 第3分隊 機関科の 穴見 儀三郎 海軍機関兵曹長の遺書の

 正午までの記述を紹介しました。



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 今日の昔話はその続きの午後に入ってからのページを少しずつ紹介して行き

 ます。



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               【 穴見 儀三郎 機関兵曹長  大分県出身 】





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 軸承そそぎ筒溜【タンクの事と思われる。】 より 海水 逆流ス、よって全部

たたきつぶせしものなり、斯かるときに困る故 管類は伝肇管如く凡て各区に

嘴【 くちばし と言う漢字と思われる。】を設くる必要があり、只今 330分なり

後部ハッチのところにて人の通る音せるを以って、艦内より ノックセリ、電話は

「ポコポコ。」 伝え共さらに通せず機関局長より、専修学生卒業者は席上の

空論に走るとの事を一度び耳にセリ 残念に思う 吾れ無能なれどもこの際に

於いても之を忘れず大に奮闘セリ ご安心あれ、学生のクラスメイト及び同年

兵よ吾れ海底の鬼と消ゆとも霊魂は再来し大に護国せん遺族のーーーー。



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       【 大正13年撮影  穴見 儀三郎 機関兵曹長の遺書 】



  少し長いので、 今日はここまで紹介し、 少し勉強して見ようと思います。

 当時の名称で難しいのですが、潜水艦のスクリューの回転軸の海水の排水

タンクという場所が満水となり、 電源が喪失して排水が出来ず、 おそらく その

タンクから海水が逆流して艦内に吹き出したと、 想像するのですが、 この

教訓というのは、各区に嘴を設置するべきである。 と言うのは、嘴 【くちばし】

戦後の現在は使用しない難しい漢字ですが、 「逆流防止の弁のような物を各場所

に設置すべきである。」 と、言う意味合いではないかと考えます。



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   もしかすると、 これらの排水パイプの海水というのは、機械室が浸水し

  その海水が、 電動機室に流れて来たのかもしれません、 それをバイブを

  暗闇の中で叩いて潰して、 防水作業を行ったと、推測します。



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   午前中、この救難電話浮標を海上にあげたのですが、 潜水艦の中から

  何度も電話をかけても つながらなかったようです。

  つまり、事故後、40分程度で、 救難電話浮標を機関科独断で海上にあげた

  のですが、15時30分 つまり、事故が発生して7時間45分経過しても、

  水中の潜水艦と、海上とは、通話が出来ていなかった、 それゆえ、席上の

  空論とか、 そういうお話が書かれているようです。



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   非常の場合を想定して、 潜水艦から海上にあげて、電話交信する目的の

   救難浮標は、実は事故当日機能していなかったことが、この遺書からわかって

   きました。

   しかし、 佐世保防備隊司令 高橋 節雄 海軍少将のお話では、 この救難

   浮標が海上に浮いて来たことで、 だいたい おおよその潜水艦の沈没位置

   の特定に役だったそうです。



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   海上では、長崎の三菱の造船所の潜水夫や、 佐世保鎮守府や、佐世保

   海軍工廠の潜水夫などが集められ、 救助活動が続いていたようです。




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   どうせ、酸欠で座して死すよりは、腹をくくって、ハッチを開けて、海上

   泳いで出てはどうかと言う考えが当時あって、 穴見 機関兵曹長

   席上の空論と言ったのは、 水圧でハッチが開かなかったようです。

   皆さんもそうですが、知らない人が多いですが、 車に乗って海に落ちた

   とします。 そうすると、 浮いている時に、ガラスを叩きわってでも、外にで

   ないと死ぬ事になるのです。

   どういうことかというと、 ドアを閉め切って、そのまま海底に5メートル

   沈んだとします。

   そうすると、 水圧で 人間の力では、車のドアはまったく開かなくなるのです。

   こう言う事は、 そういうことになって初めて知ることになるのですが、なって

   からでは遅いのです。

   次のお話は明日に続きを投稿する予定です。

   【 明日に続く。】