第1631回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1630話 第43潜水艦 穴見 儀三郎 機関兵曹長の遺書の事。

                         2016年9月14日水曜日の投稿です。




 
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  大正13年3月19日の事故当日から、現在まで、92年間、 第43潜水艦

 の救難浮標の電話で、潜水艦内と海上の救助隊が有線電話で交信していて、

 酸欠で死んでいく過程が手に取るようにわかり、 新聞に紹介され多くの人の

 同情を誘った衝突沈没事件でしたが、 驚いたことに、その電話を手に持って、

 暗闇の潜水艦の中から電話していたという、 穴見 海軍機関兵曹長の遺書

 には、救難浮標の電話はつながらず、話が出来なかったと書いてあったのに

 は驚いたことです。

 92年間、 だれも、彼が命をかけて暗闇の中書いた手帳を解読して、読んだ人

 がいなかったと言う事になります。



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   それでは、今日の昔話は、 その続きを解読していきたいと思います。


  前のぺージの末尾から


   魂は再来し、大に護国せん遺族の       【 ページ終わり】



【 次のページ】


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         【 大正13年撮影 穴水 儀三郎 機関兵曹長の遺書 】



    事も頼む、 只今 337分なり、此室に18名避難す、 其の氏名下の

    如し、

    小川 機関大尉  市村 機関中尉  鬼塚機関兵曹長  穴見 機関兵曹長

    上田 一機曹    北条  同     山口  同      吉武  同

    柳原 二機曹    兒島  同     佐藤 三機曹    大櫛  同

    原口 一機兵    前田  同     平塚  同      久富  同

    弘岡 二機兵    岩坪 同

    343分 一同元気なり。



    衝突沈没事故から、約7時間  後部の電動機室、兵員室に逃げ込んだ

    18名の乗組員は、この時点では元気であったと書いてあります。   
 


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 小川機関大尉、 市村機関中尉より、我々軍人の本分に就て最後の訓示があり、

 一同肝に銘す 沈著岩の如し、


     只今、造船所からしっかりせの音響す

 347分なり 排水そそぎ筒は各区割に排水そそぎ筒を備え、又「ブロックアウト

 装置を要す兼て用意の懐中電灯只一個あるのみ巳に光力弱り閉口す

 午後725分 呼吸非常に苦し早く所置を取られたし。 





と、 こうあって、 この文章から、懐中電灯が節約しながら使用していたものの

15時47分頃 電池切れとなった様です。

そして15時30分頃、 先任士官の 小川 昊 機関大尉と 市村機関長から

最後の訓示があったことがわかります。


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   これらの文章から、15時半頃には、 覚悟をきめて 上官から訓示があり、

   各員18名 遺書を書くことになった様です。

   そして、事故から11時間後の19時25分頃、 呼吸困難になっていった

   様子が文章からうかがえます。

   末尾の方に、各ブロック事に、 隔壁を締め切って、ブロックアウトした時に

   それぞれの部屋事に、排水装置を設置すべきだというそういう事が書いて

   あります。

   避難していた電動機室もじわじわ浸水し、 腰の高さ程度まで海水がきて

   いたようです。

   続きは、明日紹介したいと思います。


   【明日に続く。】