第1632回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1631話 第43潜水艦 穴見 儀三郎 海軍機関兵曹長の遺書の事。
2016年9月15日木曜日の投稿です。
本日の昔話は昨日の続きのお話で、 佐世保鎮守府、家族宛の遺書を
紹介して行きます。
謹んで長官の宮殿下へ博忠王殿下の御安否を謹んで憂ひ申す呉々も下士官
兵の家族を御願す
私事に関する事
はま子へ二人の子供は萬事頼むお前は更に嫁くも異論なし
御両親さま 兄姉上様 千脇兄
【 大正13年撮影 穴見 儀三郎 海軍機関兵曹長の遺書の手帳 】
山本平太郎殿
吾れ家を出ずれば常に死を期す 更に思ひ残す事なし
南無阿弥陀佛
辞世
社會の益々悪化する思想を怨むなり国家のため大に改善を望む
千代子へ
父さんは天皇陛下のために立派な仏様になります
すま子となかよくふとりなさい
340分 右側をノックせり吾 応答す
以上が、 数日前から紹介している遺言の手帳の後半の全部です。
解読していると、気の毒になって来ました。
【 大正13年撮影 伏見宮博恭王様 御用船 】
今日紹介する、 初めの 長官の宮様 とは、 当時の佐世保鎮守府司令長官
【 数日後、病死された 伏見宮殿下の次男 博忠王様 】
五十鈴に乗り込んでおられた、次男の博忠王様が、 原因不明の重病で
それから、 千代子さんと言うのは、 穴見 機関兵曹長の娘さんのようです。
この遺書の家族宛の文章は、15時40分に 潜水艦の右舷を潜水夫が
ハンマーで叩いたようで、 その文章が後にあるので、 機関長の最後の
訓示があった後、暗闇の中で字が見えない中で、鉛筆を走らせたようです。
パイロットと潜水艦乗りは、棺桶に半分足を入れているようなものと、当時
言われていたそうですが、 大変 痛ましい遺書でした。
明日は、 別の方の遺書を解読してみようと思います。
【 明日に続く。】