第1634回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1633話 第43潜水艦 北条 一夫 海軍機関兵曹長の事。

                          2016年9月17日土曜日の投稿です。



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           【 大正13年 軽巡 龍田と衝突して沈没した、第43潜水艦 】


  穴見 儀三郎 海軍兵曹長の遺書には、後部の電動機室に、18名が避難し、

  今まで、機関長以下、8名の方々を紹介してきたのですが、今日は、後部の

  電動機室で御遺体が発見された、 北条 一夫 海軍機関兵曹長のお話です。




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          【 第43潜水艦 北条 一夫 海軍機関兵曹長 長崎県出身】



  北条 一夫 海軍機関兵曹長は、 地元 長崎県東彼杵郡日宇村生まれで、

  東彼杵郡と書いて、 ひがしそのぎ ぐん と読みます。

  日宇と書いて、 ひう 村と読み、 佐世保軍港の近くの村の出身であったのです。

  左のポケットに 時計とい一緒に、 遺書が入っていて、当時、紙がなかったので

  検査表の用紙に書き込んだようです。



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    【 大正13年撮影 北条 一夫 海軍機関兵曹長の遺書 】


大変判読しずらいのですが、 少しずつ解読していくとおおよそ次の様な

内容です。


                          遺  書


  十時覚悟国家の為め満足の死御両親様お喜びください。

 私は大気元にて職につく井田 穎 氏には、失禮ク二の老後を伏してたのむ

 労働はさせないで皆々大いに喜んでください

 残念とは思わぬ ご近所や矢野さんによろしく 時計は左のポケットにあるから

 北条

 ク二實妻なり今後大分とも今迄通りなりよろしく


 と、こんな文面です。

 死の直前まで、御両親の事を心配されていたことがわかります。



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 【 大正13年撮影 佐世保鎮守府での第43潜水艦の殉職者の葬儀の様子 】



    次回は、別の人を紹介する予定です。


    【 明日に続く。】