第1635回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1634話 第43潜水艦 山口 流石 海軍機関兵曹長の事。
2016年9月18日 日曜日の投稿です。
今日の昔話は、大正13年の3月19日に 軽巡洋艦 龍田と衝突して沈没した
第43潜水艦の後部電動機室で御遺体が発見された18人の中の10人目の
現在の和水町【 なごみまち】という場所が、旧 東郷村に該当する場所のようです。
山口 流石 機関兵曹長は遺書をポケットに入れていて、発見された物は次の
ような書き込みでありました。
【 大正13年 撮影 山口 流石 海軍機関兵曹長 の遺書 1枚目 】
読んで見ると、
遺言書
天皇陛下万歳御国の為に死す光消えてよくかけん
御両親様 ご壮健に 「シゲ子」の事も頼む
そーなんは 上官が認められた
癒々【 いよいよと読むと思われる。】 光も消ゆる何も思う事はなし
天運をまつのみ
排水作業もできん
ひかりなし
海軍一等兵曹 山口 流石
【 大正13年撮影 山口 流石 機関兵曹長 の遺書 2枚目。】
この遺書から推測すると、 衝突と同時に、電源が麻痺して、艦内が暗闇と
なって、 動力を使った行為が 全く出来なくなり、 そして 避難した電動機室にも
どんどん じわじわと 海水が浸水し、 それを排水する場所が無く、たまる一方で、
そして事故から7時間程度経過して、懐中電灯が使用出来なくなり、 暗闇の中で
遺書を書いたと思われます。
シゲ子 さんと言うのは、奥さんのことか、又は、一人娘のことか、よくわかり
ませんが、 心残りであった事がうかがえます。
【 大正13年 第43潜水艦 断面図】
今現在もそうですが、 もし事故が発生したら、電気が使用出来ず、
艦内が暗闇となり、 各部屋と部屋の連絡がつかなくなり、孤立して
死を待つだけになって行った 乗組員の当時の実情がうかがえる
そういう資料です。
山口 流石 さんは、殉職後、 1階級昇進して、 一等機関兵曹から、
海軍機関兵曹長に進級したようです。
【 明日に続く。】