第1639回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1638話 第43潜水艦 平塚 忠雄 海軍三等機関兵曹の事。

                        2016年9月23日金曜日の投稿です。




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   今日の昔話は、大正13年3月19日に、佐世保市 相浦沖合で衝突沈没

した第43潜水艦 の第3分隊 機関科 平塚 忠雄 海軍三等機関兵曹のお話

しです。


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    【 第43潜水艦 第3分隊 平塚 忠雄 海軍三等機関兵曹 福岡県出身】



 平塚 忠雄 海軍三等機関兵曹は、資料によると福岡県 筑上郡 椎田町出身

 と伝えられています。

 筑上郡【ちくじょうぐん】 というのは、現在の福岡県と大分県の県境から北西

 中津市の北西あたりを昔、 筑上郡と呼んでいたようです。

 その中に、 椎田町 【 しいだまち】と言う場所があったそうです。



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            【 大正13年撮影 平塚 忠雄 海軍三等機関兵曹の遺書】



 平塚 海軍三等機関兵曹の遺書を解読してみると、おおよそ次の様な内容です。



                     平塚 三等機関兵曹遺書

 公務の為死するは本望なり第七区受持にて常に各部注意、 沈没と同時に

 後部先に続けてしょく撃したけれど異常なし其後も異常を認めず部署に付けれ




 と、ここまでで、終わっています。



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 平塚 忠雄さんと言う人は、 1番後部の艦尾の兵員室 つまり 第七区画に

 勤務していたようです。

 最後まで 自分の持ち場を離れず、 そこで 酸欠でお亡くなりになった様です。

 この遺書から、 第七区画の 1番後の兵員室というのは、無傷だったことが

 わかる内容となっています。


 【 明日に続く。】