第1640回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1639話 第43潜水艦 原口 儀平 海軍三等機関兵曹の事。

                       2016年9月24日土曜日の投稿です。




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 今日の昔話は、 大正13年3月19日に 佐世保市 相浦の沖合で、軽巡洋艦

 龍田と衝突し、沈没した 第43潜水艦乗り組み 第3分隊 原口 儀平 海軍

 三等機関兵曹のお話しです。



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     【 第43潜水艦 原口 儀平 海軍三等機関兵曹  熊本県出身 】



  原口 儀平 さんは、 記録を調べると、 熊本県球磨郡 一武村の出身と

あります。

球磨郡 と書いて 【 くまぐん】と読みます。 一武村 【 いちぶむら】と読みます。

一武村とは、どのあたりかというと、水俣方面から東に東に、球磨川を上流に昇って

行くと 人吉という場所があって、 さらに 東に山中を入ると 一武村があって

現在は、 球磨郡 錦町の一部となっていて、 昭和25年に3カ所の村が合併して

錦町になった時に、村の名前は無くなってしまいました。

原口 儀平さんの遺体は、電動機室から見つかり、 海水に濡れてふやけた

小さな手帳の紙に遺書が見つかりました。



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        【 大正13年撮影 原口 儀平 海軍三等機関兵曹の遺書 】


どのような事が書いてあるかというと、わかりやすく解読して紹介すると、おおよそ

次の様な文章です。



                    遺  書

                  
                    儀平

                  原口 儀平

                  原口 儀平


   父よ 妻を入籍たのむ

  我は くるし

  もうこれまでなり

  九時十五分 他艦としょうとつして

  発令所 機械室 入水

  外になにもかく事はなし

  時間はあるけれど

  上官がたよりくわしくかいてある故 父よ妻を入




  以上で、 文章は終わっています。

  92年の歳月を経て、 みなさんに紹介する遺書から感じるのは、酸素が

 少なくなり、 呼吸が苦しくなり、 暗闇で絶望し、絶命直前まで 入籍して

 いなかった佐世保市内在住の 女性のことを気にかけていたようです。

 遺書の宛先は、 儀平 さんの父親宛であったようです。

 妻の入籍を頼むと言う事は、いったいどうゆう事かというと、入籍した場合

 妻 つまり 女性に対して、国から補償金が給付されるので、 それを 自分の

 死後、彼女に給付を受けさせたいとの思いが 死の直前まであったと私は

 推測します。

 優しい 男であったようです。   



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   暗闇の中で、防毒面をつけて、 何もすることなく、 死が迫ってくる中、

   暗闇で 書いても字が見えないので、 名前を3回書き直した様です。

   
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         【 大正13年撮影 第43潜水艦 合同葬儀の様子 】


  ところで、 言い伝えでは当日、 原口 儀平 さんの内縁の妻の

  女性は、その日の夜、鎮守府の連絡船で 沈没現場に到着し、自分で泣きな

  がら髪を切ったと 目撃証言が残されています。

  解読していると、大変気の毒な、 可哀想な、無念であったろうと同情します。


 【明日に続く。】