第1641回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1640話 第43潜水艦 久富 輝 海軍三等機関兵曹の事。

                        2016年9月25日 日曜日の投稿です。




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   本日の昔話は、 大正13年の3月19日の朝 9時前に 佐世保市 相浦の

 沖合で、 軽巡 龍田と衝突して沈没した 第43潜水艦 乗り組み 第3分隊

 久富 輝 海軍三等機関兵曹のお話です。



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  【 第43潜水艦 第3分隊 久富 輝 海軍三等機関兵曹  福岡県出身】


 久富 輝 さんは、 記録を調べると 福岡県の三潴郡 青木村出身 だった

 ようです。

 少し読みづらいのですが 三潴郡 と書いて 【 みずま ぐん】 と読みます。

 その中の、青木村という場所が出身地でした。

 現在で言えば 福岡県と佐賀県の県境付近の 海から 北東に入った場所

 久留米市の手前、 筑後川の東岸に 青木村があったそうです。


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                【 大正13年 第43潜水艦 の断面図 】





 久富 輝 さんの御遺体は、 第43潜水艦の電動機室から出て来たようで

 海水に濡れてふやけた、 点検表の紙に遺書を書いた物が発見されたそうです。

 それでは、 彼が亡くなる前、 電池の点検表を 同僚と暗闇の中で配給を受け

 1枚に鉛筆書きした遺書を解読して、読みやすく紹介したいと思います。



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        【 大正13年撮影  久富 輝 海軍三等機関兵曹の遺書 】



                     久富 三等機関兵曹遺書


 思ひ残す事わなけれ共御両親様始め皆々様よ永久に

 幸あれよ  吾【われ】は笑って死につけり

 御両親様へ

                           久富 輝



   以上が 遺書の文です。



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   電気も光もない、 冷たい海底で、 鉛筆で書かれたこの遺書は、 立派な

   遺書で、 泣き言など一言もなく、 20才頃の年齢と推察しますが、まさに

   兵法 二天一流の 巌の構えの 心がけそのものの文章と感じます。



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   あと30分程度で 暗闇の海水の中で 死ぬと考えたときに、両親宛に

   このような文章が書けるのかと、 問われた時に 返事に窮してしまい

   そうです。



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   これを 読まれた御両親の姿を想像すると、 心が痛んでなりません。

   

    【 明日に続く。】