第1643回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】
第1642話 第43潜水艦 弘岡 久吉 海軍一等機関兵の事。
2016年9月27日 火曜日の投稿です。
【 大正13年3月19日 衝突 沈没した 第43潜水艦 】
海軍一等機関兵のお話しです。
【 第43潜水艦 弘岡 久吉 海軍一等機関兵 福岡県門司市出身】
今まで 司令塔、発令所の13名 電動機室の18名を紹介してきたのですが、
弘岡 久吉さんが 最後の紹介になります。
記録によると、 弘岡 久吉さんが 第43潜水艦で 最年少の19才の乗組員
だったそうです。
福岡県 門司市 大里 出身で19才7ヶ月であったと 記録にあります。
彼の遺体は、電動機室の 海水の中から見つかり、遺体のポケットの中から
海水でふやけた 遺書が見つかったそうです。
用紙が、 電池【バッテリー】の点検表の為、 他の人と同様に1枚、暗闇の
中で配給を受け、 暗闇の中で 一筆書いた物と推察されます。
【 大正13年撮影 弘岡 久吉 海軍一等機関兵の遺書 】
それでは、私が、読みやすいように 今風に解読した物を紹介すると
1番始めが、海水でふやけて 欠落していて 読みにくいのですが、推測
で 衝突事故 と書いてあったのではと考えます。
遺 書
【 衝突事故か 】ーー発生後1時間過ぎ既に覚悟を決めた
只【ただ】 天命に任せるのみ気圧だんだん高まる
吾【われ】毛織りじゃけっ【毛織りジャケットのことか】をつけて
おれり 死に望ぞんで一本のたばこがほしい。 弘岡
以上が、 遺書の文章です。
【 大正13年 撮影 弘岡 久吉 海軍一等機関兵の遺書 】
この文章から推察すると、 事故後1時間と書いてあるので、 おそらく
午前10時前後に、 バッテリー電池の点検表が1枚ずつ各員に配布があり
市村 機関長の命令もしくは、 小川 機関大尉の命令で、各員 遺書を
したためるようにと 指示があった物と推測されます。
当時、 海底は 気温が低く 寒い、暗い場所であったと思われる遺書で
限られた 空気でたばこなど吹かすわけにも行かず、気の毒な遺書の
内容となっています。
【 海軍第43潜水艦 合同慰霊祭の様子 大正13年撮影 】
以上が 機関科の最後の水兵の人の紹介でした。
【 明日に続く。】