第1667回 昭和の伝道師 【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1666話 第43潜水艦 死に直面して静かに服従の事。

                       2016年10月22日土曜日の投稿です。




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   今日の昔話は、 大正13年 1924年3月19日の朝、 長崎県 佐世保市

相浦の沖合で 軽巡洋艦 龍田に衝突され、沈没した、第43潜水艦の救助活動

のお話しです。


  前話からの続きでーーーー。

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  3月19日 18時40分頃  事故発生から 約10時間後、


 穴見 機関兵曹長 「 今日中に揚がる見込みがありますか、今何時ですか。」


 穴見 機関兵曹長 「 今上【海上】では、どういう作業を やっておりますか。」

 原田 司令 「 ただいま、救難弁に送風管を取り付けようと、潜水夫が海に

          入って行った。」 

 穴見 機関兵曹長 「 呼吸が苦しいですから、今、気蓄器の空気をチリチリ

              出しています。」


 原田司令   「 そのような事をしては、 内部の気圧が高まるので、やめては

          どうか。」


 穴見 機関兵曹長 「 それでは やめます。」


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 この後、 金槌で、 壁を叩く音が、聞こえ、 外に潜ってくる 潜水夫に位置を

 教えるために 叩いていたらしい。

 この時、狭い部屋に、18人 海水に浸かり、 首だけ出して、ハアハア やって

 いると想像すると、声を聞くのが つらかったと 書いてあります。

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 3月19日 19時35分頃 事故発生から、約10時間50分頃


 電話の向こうで、  「  天皇陛下 バンザイ、 天皇陛下 バンザイ、

 天皇陛下 バンザイ。」 と 三唱する声が 海上に伝わり、 海上

 人達の涙を誘ったとあります。


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       【 第43潜水艦 穴見 儀三郎 海軍機関兵曹長 大分県出身 】



 穴見 「 しっかり頼みます、上【海上は】は、暗くて大変でしょう。」


 原田 司令 「 探照灯や、月明かりがあるので大丈夫だ。」

 穴見 「 皆、遺書を書いて持っていますから、もう 何も言うことはありません

     どんどん海水がまして、もう胸まで来ています。

     高い所へ上がっています。

     電話口から 離れてくださるな。

     炭酸ガスが高まって 苦しい、 もう2、3人しか 残っていません。」


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    今日は、 ここまでの紹介です。

    大変気の毒な交信記録ですが、 これらの事が 乗組員の遺書には

    まったくなく、 電話連絡など出来なかったと、 穴見 機関兵曹長や、

    その他の人の遺書にも同様の記述があって、 これらが 後に作られた

    創作話なのか、 どうなのか、 続きを勉強して行きたいと思います。


  【 明日に続く。】