第1671回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】

第1670話 第43潜水艦の乗組員の事。 2016年10月26日 水曜日の投稿です。





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    今日の昔話は、大正13年 1924年3月19日に 長崎県佐世保市相浦の

 沖合で、軽巡洋艦 龍田に衝突されて沈没した、第43潜水艦の 乗組員の

 遺体収容のお話しです。


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   前話の続きからーーーー。

  大正13年 今から92年前の4月中旬より引き上げが開始された、第43潜水艦

 は、給油艦 知床 【しれとこ】 基準排水量14050トンを使用して、 バラスト水

 の注入、 艦の沈下、 潜水艦のワイヤー緊張、 バラスト水の排水、 浮揚 という

 サイクルを繰り返し、 水深の浅い場所、 水深の浅い場所へと、こういう作業を

 根気よく続けていくことで、 事故発生から約1ヶ月後の4月18日に海上に姿を

 表したそうです。



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   まず、艦内の海水の排水、 送風管を取り付けて、酸素を艦内に入れて、

   有毒ガスの排出が1日かけて行われ、偶然、1ヶ月後の 4月19日に

   作業員が 第43潜水艦の中に入って、遺体の収容が行われたようです。


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    ところで遺体ですが、前部や中央の遺体はそうでもなかったそうですが、

   後部の電動機室の遺体は、見るに堪えないようなひどい姿であったそうです。

   衣服は着けていたそうですが、前身 重油の油まみれとなり、大変気の毒な

   姿だったそうです。

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    第43潜水艦の乗組員の遺体は、 身元確認の後、3日かけて 次々と火葬

    されて、 4月22日に 佐世保防備隊 練兵場において、合同葬儀が行わ

    れる事になっていったのです。



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      【 大正13年 4月22日 撮影 第43潜水艦 合同葬儀の様子】



    殉職した 45名の 葬儀が行われ、遺骨は親族に引き取られていった

    そうです。


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      ところで、 後に調査の為、 引き揚げられた第43潜水艦の内部に

      入り、 確認をしていくと、 乗組員の遺書などが発見され、 それらを

      ピンセットで慎重に、開いて、 乾かして、 写真撮影が行われ、遺品など

      も回収されていったのです。


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     第43潜水艦の 壁を見ると、 いろんな書き込みが発見されたのです。

     次回は、 乗組員が書き込みをした、潜水艦の壁のお話しを紹介する

     予定です。


     【 明日に続く。】