第1675回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1674話 第43潜水艦 海底の刻印 その4の事。

                          2016年10月30日日曜日の投稿です。







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  本日の昔話は、大正13年 1924年の3月19日に長崎県佐世保市相浦の

  沖合で、軽巡洋艦 龍田に衝突されて沈没した 第43潜水艦 の 乗組員

  の海底での 壁に刻んだ遺書のお話しの4回目です。


  前話の続きからーー。



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       【 大正13年撮影 第43潜水艦 士官 厠 入口の遺書 】



  この遺書は、 士官用の手洗い、 当時の呼び名で厠 【 かわや】の右の

 柱に、暗闇の中、 スックレッパーという、さびを取る道具で入れられた文字と

 推測されます。

 暗闇の中の作業のため、字が読みにくいですが、 今風に読みやすいように

 文章にすると。

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 本田  止めどとまぬ水  防水扉 電線の通外なし 死を待つ 水 足に達す。


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  こんな感じの文章であったと思います。

  「防水扉を閉めても、実は名ばかりの物で、水がじわじわ浸水する。」

   と、 こう言う事を言いたかったのかーー。

   「電線の通外なし。」

   とは、 どんなことかというと、 隔壁を閉めた場合、部屋と部屋の通話が

   艦内電話で出来なくなったと言う事を言いたかったのかーー。

   「水 足に達す。」

   とは、 海水で足が濡れる程度、浸水していたと 伝えたかったようです。




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        【  第43潜水艦 本田 宗秋 二等水兵  熊本県出身 】


        本田さんと言う人は、 おそらく 佐世保海兵団から初めて乗艦

        したのが第43潜水艦で、 このような沈没事故に巻き込まれ、

        死を覚悟して、 暗闇の中、紙もなかったのか、 壁に自分の

        思うことを 複数刻んだようです。


        【 明日に続く。】