第1676回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1675話 第43潜水艦 海底の刻印その5の事。

                          2016年10月31日月曜日の投稿です。


 
 
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   今日の昔話は、大正13年 1924年3月19日の朝、長崎県佐世保市相浦

の沖合で、軽巡洋艦 龍田に衝突されて沈没した第43潜水艦の乗組員の刻んだ

遺書の紹介の5回目です。


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        【 大正13年撮影 第43潜水艦 本田 宗秋 二等水兵の遺書 】



  前話からの続きでーー。

 
  暗闇の中で、鋭利な物で ドアのつけねの柱に傷がつけられた文字を

  解読して見ると おおよそ 次の様になります。


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     MH生告別

  水中信号の声を神の声にして行く幸よみな元気なり  

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   上の せい又は こえ と言う読みの漢字は、文字がないのですが、

   おそらく、声 という意味合いで 刻まれた物と思います。

   水中信号というのは、 第22潜水隊の 第41、及び 第42潜水艦が



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   当日 佐世保軍港を一緒に3隻で出港していて、 そのうちの1隻が

   事故海域で 潜行して、 水中信号を発していたようですが、 聞こえていた

   ようです。



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     【  第43潜水艦  水雷室 本田 宗秋 海軍二等水兵 熊本県出身 】



   M H という文字は、 おそらくですが、水雷室勤務の 本田 宗秋 さん

   と推測されます。

   他の人の遺書の中に当時艦が 右に50度程度傾いていたと記述があり、

   海底に沈没し、閉じ込められ、足元から海水が少しずつ増えていく中、

   死を覚悟して 刻んだ物と推測されます。



   【 明日に続く。】