第1694回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1693話 清国艦隊の布陣の事。 2016年11月18日金曜日の投稿です。


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   明治27年 1894年 9月17日の正午前に、日本側、清国側も水平線

状に、 汽船の黒煙を発見し、 双方が戦闘配置についたのです。

ところで、この戦い、どうして日本海軍が勝てたのか、戦後考えて見ると、

それは、海軍だけの力ではなかったのです。

それは、何かというと、 陸軍の諜報機関の協力があって 成り立った海戦で

あったと言う事です。



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   当時、陸軍では、対馬海峡を横断する、陸軍の補給物資を運搬する輸送船

を清国海軍に攻撃されては、兵糧攻めに遭うような物で、 その対策として、支那人

朝鮮人に変装して、 清国の艦隊や陸上兵力の動勢を探っていたのです。



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そして、清国艦隊が、夜、暗闇の中、出港したという情報は、対馬海峡を守って

いた連合艦隊司令部に 報告されていたのです。



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    そして、それらの清国艦隊の兵力、 進行方向なども、部分的ではあり

    ますが、日本側の知る所となっていたのです。

    それゆえ、清国艦隊が 対馬海峡に進出してくる前に、相手の動きがわかって

    いる間に、強襲して叩いてしまおうと考えたわけです。



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   そう言うわけで、戦闘行為に及ぶ前に、敵の相手側の兵力、動きを把握する

  こう言う事が非常に大切な事であったのです。

  反面、 清国側は、日本艦隊の動きというのは、水平線に艦影を発見する前

  まで、知らなかったわけです。

 
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               【 当時の連合艦隊司令部 集合写真 】


  当時の連合艦隊司令部の読みは、 陸上兵力を揚陸している間、清国艦隊は

 輸送艦隊を護衛する任務があるわけで、 単独で動いたり、 待ち伏せなどを

 行ったり、 ある程度は用心していると考えられるが、 容易に捕捉できると

 見ていたようです。





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     清国 艦隊の目的は、陸上兵力4千人を揚陸する輸送船の護衛で

    あったのです。

    日本艦隊を発見と同時に、 主力艦を前方に展開して、布陣を整えた

    のです。



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                【 横一列に艦艇が並ぶことを 横従陣 と呼ぶ。】


    その艦艇の布陣の方法は、実に手堅い物で、 変型横従陣という陣形

    であったのです。

     1866年7月に、 イタリー王国と、オーストリア帝国アドリア海で海戦を

     行い、その時に用いられた 勝利した側の オーストリア帝国海軍のとった

     リッサ海戦の陣形を 支那人が改良を加えた陣構えであったのです。



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    まず、敵を 横従陣で迎え撃ち、 横一列でならぶことで、 次の陣形に

    変化することが容易な陣構えに、そして少し離れた場所に 水雷戦隊を

    待機させ、 側面から 水雷攻撃を行おうという、そういう陣形であったの

    です。



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   このような陣形ですと、 近づくと一斉射撃を受け、 ひるんだ所に、横から

   高速の水雷艦艇に、魚雷攻撃を受けることになり、大きな被害を出すことが

   予想されたわけです。



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         日本の連合艦隊は、このような清国艦隊の待ち受ける防御

         主軸の陣形の艦隊に 攻撃を仕掛けていくことになるのですが



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         どうなっていったのかと言う事は、次回お話ししたいと思います。



        【 明日に続く。】