第1697回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語 】
第1696話 定遠の主砲爆発事故の事。2016年11月21日月曜日の投稿です。
明治27年 1894年の9月17日 午前11時50分頃の事ですが、清国艦隊が
横従陣と呼ばれる、横一列となり、 前方から接近する日本海軍の 第1遊撃隊
の坪井 海軍少将が座乗する、吉野に対して距離、6千メートル
程度から一斉射撃を開始したのです。
すると、驚いたことに、 敵の清国艦隊の旗艦 定遠の 艦橋の前の砲塔で
大爆発が起きて、 艦橋で指揮を取っていた 清国艦隊司令部の面々が
吹き飛んでしまったそうです。
【 清国艦隊 旗艦 定遠 ドイツ製 】
金額を積んで、清国が購入した 当時の最新鋭の戦艦でありました。
主砲には、当時必殺、最強と言われていた、ドイツ製の305ミリ 回転砲塔が
ついていたのです。
当時、西洋の模倣をして軍備を整えていたのは、アジアでは日本と、清国で
あったわけです。
【 清国艦隊 司令長官 丁 汝昌 提督 】
丁 提督は、元々は陸軍の軍人というか、武将で、 この爆発で重傷を
負って、 指揮を取ることか出来なくなり、 定遠の幹部も吹き飛んで、指揮
系統が麻痺してしまったのです。
清国艦隊は、 作戦指揮の先任順を決めていなかったので、残りの15隻
が命令無しに、独断で行動するという事になっていったようです。
というか、海戦初期は、命令が出ないので、 動かなかったのです。
第1遊撃隊の4隻は、清国艦隊との距離を3千メートルまで縮めると
左に転舵して、 4隻の側面から、 清国艦隊に一斉射撃を開始したのです。
日本海軍の 第1遊撃隊は実は 囮艦隊で、 4隻の戦力で、清国艦隊を
引きつけて、 陣形を崩すことが目標であったのですが、 清国艦隊は旗艦が
爆発して、何も命令を発令しないので、 その場から動かず、射撃をしてくる
だけであったのです。
こうして、 外国の近代艦艇を輸入して、双方が海戦を行うという、初めての
戦闘は、距離3千メートルで、 清国側は、停泊して射撃し、日本側は航行し
ながら射撃を繰り返すという、 そういう戦闘経過となって行ったのです。
そして、今度は、連合艦隊の本隊 伊藤中将率いる6隻の艦艇が、
現場海域に到達し、 同じく、旗艦 松島 を先頭に、 距離6千メートル
で転舵して、進路を 遮るように横一列で、 砲撃を清国艦隊に向かって
開始したのです。
連合艦隊の本隊が、砲撃戦を展開していた頃、 第一陣の坪井海軍少将
の第1遊撃隊は、 再度、ターンして、 攻撃態勢を取ろうとしていたその時、
清国艦隊の 側面からの攻撃を受けていくことになっていったのです。
清国艦隊は、 側面の備えで待機していた艦隊が、旗艦が撃破され
たとようやく悟り、 各艦が独自に砲撃を開始し、 そして 動いて、乱戦
の様相を呈していったのです。
の305ミリ砲と思われる砲丸が着弾し、 大爆発をおこすのでした。
【 明日に続く。】