第1699回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1698回 赤城奮戦 大破炎上の事。2016年11月23日水曜日の投稿です。





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   明治27年 1894年の9月17日 大狐山沖合の 日本海軍と清国海軍の

 武力衝突は、 砲撃開始から2時間程度すぎて、 清国艦隊が大破炎上中の

 艦艇をおいて独自に突撃を敢行し、 連合艦隊は南に距離を取りながら蛇行して


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 射撃を繰り返していたのですが、 南に、南にと退いていると、いつしか、後陣の

 樺山 海軍軍令部長の座乗する 西京丸に接近することとなって行ったのです。

 西京丸というのは、 客船で、速力は12ノット程度しかでない2900トン程度

 の小さな客船であったのです。

  そんな船に、 樺山 海軍作戦部長は 5名の士官と供に乗り組んで海戦を

 見分しようとしていたところに、どんどん 砲弾が飛んできたわけです。



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         【 樺山 海軍大将が座乗していた 西京丸 2904トン】



   西京丸は急いで転舵して、 進路を変えて敵艦の砲撃をかわしていたので

  すが、敵の砲弾が命中し、舵が故障し、 修理することになるのですが、


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          【 西京丸を護衛していた 砲艦 赤城   坂元 八郎太艦長】



  護衛していた 赤城が 西京丸と清国艦隊の間に立ちふさがって、防戦する

  事になっていったのです。


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      赤城は、 3隻の集中砲火をあびて、 大爆発を起こしながらも

      西京丸の盾となって、 樺山軍令部長等を守ったのですが

      赤城 艦長の坂元 八郎太 海軍少佐が爆死し、炎上していったのです。


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            【 戦死した、 赤城 艦長 坂元 八郎太 海軍少佐 】


         赤城の必死の防戦中、 速力の早い清国艦隊の追尾をかわす

         事は不可能と悟った、樺山軍令部長は、 西京丸の破損した舵を

         人力で動かして、 進路をなんと清国艦隊に向けさせたのです。

         「 脱出は無理でごあす、 正面突破しかなか。」 とさけんで

         砲撃を仕掛けてくる 清国艦隊に 向かっていったのです。



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     このような、逃げても追いつかれることがわかっているので、逆に

     正面から 火の中に飛び込んでいったのですが、 清国艦隊の砲弾が

     多数着弾し、 蜂の巣のようになって行ったのです。



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                 【 海軍軍令部長 樺山 資紀 海軍大将 】


    後に、 日本国民は、一か八かのこの突撃を新聞で読んで、「 さすが

    西南の役で 熊本城で西郷軍と戦火を交え、熊本城を死守した強者

    痛快事なり。」と、 称賛し、 戦死した 坂元 艦長を偲んで歌にして

    歌ったのです。

    ぼこぼこに砲撃された西京丸は後に客船に戻ったのですが、この船に

    乗って見ようという人が押しよせて、 人気の客船になって行ったのです。



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    そんな、西京丸に 当時の新兵器であった、 清国艦隊の魚雷が距離

    約500メートルから 清国艦隊の福龍という艦から発射されていったのです。

    危うしーー、西京丸  樺山 海軍大将は、「 艦長、 急いで進路変更。」

    と叫んで、 西京丸の  鹿野 艦長は、 回避運動を行うのでした。


     【明日に続く。】