第1701回 昭和の伝道師【戦中、戦後のパイロットの物語】
第1700話 済遠の逃走の事。 2016年11月25日金曜日の投稿です。
明治27年 1894年 9月17日の15時過ぎ、 清国海軍と日本海軍の
大狐山 沖合での アジアで初めての西洋軍艦の近代兵器による海戦は、3時間
を経過して、双方入り乱れての乱戦になって行ったのです。
そのような中、 樺山 海軍軍令部長の座乗する 西京丸は、多くの砲弾が着弾
する中、 護衛の赤城と 敵艦隊の中央を突破していったのです。
清国海軍の福龍が発射した 魚雷は、わずか40メートルの距離で発射したの
ですが、なんと、 魚雷が1度自重で沈んだため、 西京丸の船底の下を通過し
通り過ぎて行ったのです。
そのような中、 清国海軍の軍艦、定遠が、何を考えたのか、反転して
逃走を開始し、 それを見た、広甲も 仲間が砲撃戦をしている最中、 反転して
逃走を開始したのです。
致遠という軍艦は、 そのような中、 1隻で突撃を行い、連合艦隊の集中砲火を
受け、 東郷平八郎 海軍大佐の 浪速に 体当たり攻撃を行おうとしたのですが
集中砲火を受けて沈没していったのです。
夕方の 17時近くなると、 清国海軍は それぞれ退却し、撤退していった
のです。
この海戦、 中国の清国海軍は当時の最新鋭の洋式装備を揃えていたの
ですが、艦隊司令官が、 爆発事故で吹き飛び、 旗艦からの命令が発令されず
艦隊がまとまって、行動することが出来ず、 終始、 バラバラの行動を行い、
逃げ出す艦艇や、 勇敢に突撃する艦艇とに別れていき、 個別に 一定の
距離を保ちつつ、 複数の艦艇で砲撃する 日本海軍の艦艇の連携砲撃に撃破
されていったのです。
どうも、 清国海軍では、先任順 つまり、 艦隊司令官が 戦死したり、命令
を発令できなくなった場合、 次の替わりの次席指揮官を定めてなかったようです。
それ故、 各艦が 各艦の艦長のその場の判断で 個別に行動していったという
こう言う事が、敗因につながっていったようです。
清国海軍は、大きな損害を出したのですが、残存艦隊は、逃走し、
第1遊撃隊の 坪井 航三 海軍少将は、 その後を追って、もう一太刀あびせ
ようと、追撃戦を行って行ったのです。
現場海域は、 夕暮れとなって行ったのです。
【 明日に続く。】