第1705回 昭和の伝道師【 戦中、戦後のパイロットの物語】

第1704話 日本陸軍第1軍の事。 2016年11月29日火曜日の投稿です。



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                  【 清国陸軍  宋 慶 大将軍 】


    ところで、清国陸軍は、 鴨緑江の九連城周辺に、1万数千人の兵力を

    置いて、これを後陣とし、 宋 大将軍は 1万2千人の兵力で 朝鮮半島

    の平壌に進出し、 ここで陣を張ったのです。



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    対する、日本陸軍は 現在のソウル こと 京城の近くの仁川に上陸し、

    ここを拠点として、 清国の陸軍と対峙したのです。



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                  【 仁川沖の日本陸軍の輸送船 】


  この仁川という地が選ばれたのは、長大な砂浜があり、上陸に都合が

  よかったからと伝えられています。


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   当時の記録には、 第1軍の主力は、広島県の歩兵第5師団 愛知県の

   名古屋の第3師団の2個師団と、香川県丸亀市の歩兵第12連隊と、

   愛媛県松山市の 松山歩兵第22連隊の2個連隊が歩兵第10旅団を

   構成し、 名古屋の歩兵第6連隊と豊橋市の歩兵第18連隊とで歩兵第5

   旅団を構成し、 石川県金沢市の歩兵第7連隊と 福井県敦賀市の歩兵

   第19連隊とで、歩兵第6旅団が構成されていたのです。


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              【 第1軍 総司令官 山縣 有朋 陸軍大将 】



    そのような内訳で、広島県の第5師団や、名古屋の第3師団を中心として

    島根県 広島県 愛知県、愛媛県香川県、石川県、福井県の人達が

    この戦争に兵士として徴兵され、第1軍と言う事で 戦闘に参加していく

    ことになって行ったのです。


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    当時、清国陸軍の兵器は 大ドイツ帝国から輸入した当時の最新兵器で

   マゥザー小銃、 クルップ砲などが装備されていて、非常に強力な戦力で

   あったのです。


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   対する、日本陸軍は、単発式の村田銃と、青銅砲という装備で、清国陸軍より

   劣った兵器でしたが、日本の強みは、これらの兵器を自分達で作っていたので

   自分達で修理が可能であったと言う事です。

   反対に、清国軍は、お金を出して買うのみで、自分達で兵器を製造する

   能力が非常に劣っていたのです。

   それ故、故障すると、兵器が修理不能で使えなくなっていったのです。


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    1894年 明治27年9月  野津 道貫 陸軍中将率いる 広島第5師団

    と、 桂 太郎陸軍中将 率いる 名古屋第3師団の兵力と、ドイツの兵器で

    武装していた清国陸軍が平壌で激突することになって行ったのです。


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    当時の朝鮮の王朝が、自らの独立を維持する軍事力を持っていなかった

  がために、外国の軍勢が強引に朝鮮半島に進駐し、 勝手に戦争を始めていき、

  結果、 朝鮮半島の現地の人の家屋敷が破壊され、多くの巻き添えの死傷者

  を出していったのです。

  ドイツは、 自国の兵器を清国に高値で売る商機と考えて、武器弾薬を売り、

  イギリスは日本に兵器を高値で売る商機と考えて、武器弾薬を売り、 清国と

  日本が初めて、平壌戦火を交えていったのです。

  もっと、違うよい方法はなかったのでしょうかーーー。


  【明日に続く。】